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おもに少年愛と小説に関する雑記。エッセイとコラム
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ヰタ・セクスアリスと少年愛
 たまには日記ともリアルやテレビなどとも違うショタネタを。
 ヰタ・セクスアリスは、森鷗外の、性愛をテーマにした小説である。当時これを掲載した雑誌は、そのことによって廃刊に追い込まれ、この小説も長らくポルノグラフィか否かの論争の具にされてきた。しかしその内容は今見ればごくありふれた(過激さで言えばだ)もので、思えば遠くにきたもんだと思わされる。
 しかし明治四十二年と言えば、大正の退廃もそろそろ兆しも見えていたであろうし、女郎買いだって当たり前にあった。文学や政治の偉い人の世界がとんがっていただけで、きっとこの作品も、読者は熱く歓迎したものと思われる。

 そんな時代であるから、男色についての記述も、あるに違いないと思っていたら、やはりあった。しかも、主人公の少年が十一歳の時の話となっている。

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 曰く
 「毎日馬に乗ってくる蔭小路という少年が、彼等寄宿舎生達の、及ばぬ恋の対象物である」
 「薄赤い頬っぺたがふっくりと膨らんでいて、可哀らしい少年であった。その少年という詞が、男色の受身という意味に用いられているのも」
 この蔭小路というのは、「陰間」の隠喩だ。蔭小路君は語り手の金井君と同い年、十一歳の設定である。
 「僕に帰り掛けに寄って行けと云った男も、僕を少年視していたのである」
 ご馳走してくれたり、親切にしてくれたりという描写があり、
 「但しその親切には初から少し粘(ねばり)があるように感じて、嫌であったが」
 「そのうちに手を握る。頬摩(ほおずり)をする。うるさくてたまらない。僕にはUrning(男色者の意)たる素質はない」
 「ある日寄ってみると床が取ってあった」
 「『僕は嫌だ』『そんなことを云うものじゃない。さあ』『嫌だ。僕は帰る』
 押し問答をしていると、隣の部屋の男が応援にかけつけ、布団蒸しにされて、あわやというところで残念ながら(笑)、まともな救援が来て、事なきを得る。まあそのまま襲われては、ほんとにポルノグラフィになってしまうが。
 鴎外のユーモアがさえているところは、
 「その時、書物とインク壺とをさらってきたのは、我ながら敏捷であると思った」
 というくだりで、金井君の人物像に鴎外自身の少年期が重なっているとすれば、ずいぶんと勝ち気な少年であったということだ。
 十三歳になり、別の寄宿制の学校に通うようになった金井君は、同じく最年少の年頃の子が「色白で体がしなやか」で自分は「醜く色が黒く田舎の出」であったのに、「硬派(女色にふけらないタイプで男色を好む、らしいw)」の上級生に自分ばかり狙われて、ついには匕首を抱いて寝るようになる。
 自慰は十四で覚えたことになっている。頭痛ばかりで気持ちよくなかったということに、なっているw しかしあけすけにこれを書いては、当時としては確かにインパクトがあったに違いない。

 余談だが鴎外は超絶的な名門に生まれた上に神童という言葉が少しも大げさでない秀才で、十二歳で今の東京大学医学部にあたるところに入学し、十九歳で卒業している。まあ異論はあるかもしれないが青年したあとの写真はかなり男前で、高校の教科書にも載っている「舞姫」は私小説に近いものがあるらしいので、色男だったのだろう。そんな彼が、大人あるいは若者に混じって、十二歳の大学生として学ぶ姿は絵になると思う。エリートだとか名家の子っていうのは俺の萌え要素ではないのだが、鴎外のぼっちゃんさは清々しいほどだし、早熟さが加わると、なかなかいい。

 上述の男色のネタについてだが、主人公の少年は自分にそのケがないのに襲われて嫌な思いをして、男色の寄宿生を悪く書いているものの、いやらしい偏見は感じない。またこの後も寄宿生活では、男色は当たり前の日常茶飯の出来事として描かれている。これが一般の感覚ということはないのだろうが、今のコンセンサスが絶対でないことは確かだ。

 鴎外の文章は切れ味が鋭く、今も古びていない。興味のある方はご一読を。

※ 鴎外の「鴎」は「鷗」が正しいのだが、環境によっては出ないこともあるんだそうで、大部分は略字で書きました。
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