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おもに少年愛と小説に関する雑記。エッセイとコラム
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文章巷談 リアリズム
 俺の小説を、時々ほめてくださる人のよく言ってくださる言葉が「リアル」ということ。
 確かに、リアルということは意識している。けれど一般には、このリアルという言葉の認識も、かなり温度差があるようである。

 SFやファンタジーより現代恋愛ドラマがリアルか、といったら違う。小説におけるリアリティとはそういうものではない。だから俺の小説でリトルホーネット<夜想<土曜の順にリアルっていうことにはならない。
 リアルをそのように規定すれば、小説はリアルなほどに「夢のない」つまらないものになってしまう。

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 俺が大切にしているリアリティは、そういうことではなく、「こんな風に言われたら、彼はどう反応するか」「こういう生い立ちを持ったら、人はどんな性格になるか」とかいうことで、あとはできれば、少年娼館がもし、実在したら、こんな風だろうか、少年ビデオの愛好クラブが実在するなら、こんな風に撮影会やるだろうか、ヤクザの言動はこんなだろうか、とかいったあたりを、自分の守備範囲や、知識、取材によって固めていく。しかしなによりも前者で、俺の重視するのは人物のリアリティだ。
 一般向け(笑)のエロビデオは、「男の願望」を前面に押し出して、女性はステロタイプで、脆弱で愚かで淫らである。リアリティのかけらもない。多くのショタものコミック等にもそれは言えていて、彼等の反応は一般向けエロビデオの女と、質的にはほとんど変わらない。また一方、ショタを神聖化もしくは理想化したがる「年配のショタコンに多い」(某氏談)タイプの人は、男の子の弱さや、子ども故のずるさ、残酷さ、性的なものへのめり込む生々しさなどを、知らないか認めない。アンチペドなどの活動家のような不感症や偽善者の場合の、子どものとらえ方に至っては、問題外である。あれこそファンタジーだ。

 これらのあきたりなさを、俺の場合は自分の文章にぶつけるわけである。絵や写真や動画は、キャラクターが見かけ、かわいければリアリズムに欠けても、十分萌えるけど、文章は、文章による人物造型しかない。「かわいい」などと書いても無意味だ。生き生きとイメージが浮かぶような描写をするしかない。それが巧みであればあるほど、もし仮に、それが実在し得ないような理想化された少年だとしても、「リアル」に感じるものではないだろうか。
 
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