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おもに少年愛と小説に関する雑記。エッセイとコラム
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弟子になるとか習うとか
 広告をどうせ貼るならベタ貼りしまくってる今日この頃だけど、ふと見ると、「ライトノベル作家になるなら」というタイトルで、○○先生という誰だかわからない人の直接指導、とある。クリックしてみたい気はやまやまながら、これをやると特にgoogleは、(たぶん)二回目の検知でアカウント停止、二度と同じ名前や銀行口座ではadsenseに参加できない。何か直接クリック以外にリンク先を見る方法はあるみたいなので、時間のあるときに調べないとな。

 閑話休題。
 で、ライトノベルは習って書くものなのかどうかって話。俺自身は、(だいたいプロでもないけど)誰にも文章を習ったことはない。小学校だって、読み書きの段階以降は、作文だって勝手に書いて勝手に提出しただけで、赤字のコメントは内容についてであって文章を練るようなアドバイスをもらった覚えもない。

 しかし文章は習わないものなのかと言えば、そうでもないようだ。例えば俺のはまってるカミタマンなどの脚本家浦沢義雄氏は、確かなんとか言う脚本家に「師事」していたとどこかで読んだ。しかし、これも文章の書き方を習ったのかどうかはわからない。
 プリントやグラフィックの世界は、身近にプロがいるので知っているが、弟子になり、今風に言えばアシスタントとして誰かに師事すると、何をするかと言えば筆や筆洗を洗い、煙草を買いに行き、先生を飲み屋に車で送り迎えしたりする。……いやほんとなんですよ。絵の描き方なんて誰も教えてはくれない(デザインスタジオなので先輩はいっぱいいる)。しかし、一流のプロの作業が間近で行われている。筆一本で稼いでいる人間の会話が耳に入る。自分で描いたものは、ボロクソに言われたり鼻紙に使われたりし、ごく稀に褒められる。アドバイスは、まずない。先輩から見れば、ペイペイも将来の商売敵だ。肝心要のことは絶対に人に言わない。
 実はここから先が肝心で、最高のプロは最高のツテを持っていて、そのスタジオから独立することは、そのツテを根こそぎシェアさせてもらうことにつながる。それに修業時代のコンクールでは、当代随一のプロの門下は、非常に有利なのだ。師匠が審査委員長であって、「これええやないか」と一言言えば賞が決まる場合もあるのだ。ずるいと思われるかもしれないが、皆に認められている最高のプロは立場上いい加減なものは推薦できない。コンクールに出す前に破られるのだ。同レベルのライバルがいた場合有利であり、また全くバックアップのない個人は、参加権もないといったところだ。

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 浦沢氏の「師事」もこんなところじゃないだろうか。だいたい放送作家なんて、誰かの紹介なしに原稿を、制作サイドに読んでもらえるとはとうてい思えない。脚本家の世界を知り、(自分で)力をつけつつコネを得る、というのが師事の実態ではあるまいか。

 商業創作物の世界の「習う」「修行」「師事」ってのが、こういうものだと考えると、前述のライトノベル講座も、相当にいかがわしいにおいがしないでもないな。
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