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おもに少年愛と小説に関する雑記。エッセイとコラム
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映画版 花田少年史
 全身倦怠感と眠気で、まともに活動できるのが夕刻以降の数時間に限られてるここ数日。ビデオ見るとか音楽聴くのはできても、本も読めないていたらく。ああ、早く涼しくならないかな。寒い方は滅法得意なんだが……。

 昨日はまたたく間に消化試合と化した阪神のゲームのあと、チャンネルを変えたら、「花田少年史」なる映画がやっていたので、そのまま見た。

 壮太という気の弱い男の子の子役がツボで、海が舞台なんだから水着くらいないかなあ(笑)と思いつつ所々録画。

 映画の内容は、というと、いただきかねるシロモノ、と言い切ってよいかと思う。
 原作を全く知らないのだが、漫画もアニメも大変評価の高い作品であるらしい。
 原作を知ってる方と昨日話して、Wikiなんかも見てみたら、原作と「かけ離れた」と言える改変、というか、タイトルと設定だけを(それすらかなり変えてあるが)もってきた完全新作であるようだ。

 脚本を書いた人間の稚拙さもしくは趣味の悪さが随所に現れており、人間トラマとファンタジーが不協和音を呈している。
 「少年ジャンプ」的キャラクターの死というのは全く重みがなく、みんなどのタイミングで生き返るかを先読みしながら読んでいくらいのものだ。生き返ることへの伏線も、あの雑誌では不要である。

【以下はネタバレあるよ】

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 壮太君が運動会の借り物競走で、「お父さん」という札を引いてしまった時(彼の父は幼時に海で死んでいる)、謎の少女の幽霊が、一路のからだを借りて、壮太と亡父を再会させるが、亡父ができることは、言葉をかけることだけに限られていた。壮太はギャラリーの中の、母と再婚を望んでいる男性のもとに走り、二人でゴールをめざし、互いのわだかまりを乗り越えるのだ。
 現実の場合の死別は絶対的なもので、これを乗り越える「夢」こそが幽霊を出すファンタジーの真骨頂と言える。
 しかし生き返るのは論外として、それまでそんなことは一切なかったのに、突然現実世界で(誰かのからだに憑依したというのかもしれないが)一路の父を刃物を持った悪霊男が襲う。そこにまた、間接的にしか現実に関与できなかったはずの幽霊少女が立ち向かう。なんなんだこのくだらないクライマックスは。
 
 おのおのの登場人物が持っているかっとうや悩み、友人関係や親子関係など、どの程度原作に忠実なのかわからないがいい線いっているし、映画だけであろう少女、謎の男、一路の両親の関係の設定もまあ悪くはない。
 何でもありのゴーストハンターものホラーなら、最初からそう作ればいいし、しっとりと描いてきた人情悲喜劇、あのクライマックス20分で全てが台無しである。第一一路君何もしていない。

 こうなってくると、原作のファンからは、設定の大幅な改変も含めて評判はよくなかろうと思うのだがどうだろう。
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