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おもに少年愛と小説に関する雑記。エッセイとコラム
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息抜き
 さて、宅配搬入の荷物発送も終わったので、部屋の片付けと息抜きに終始しました。紙やCDとかしまいきれないうちに片付けても、結局また……なんでね。五月イベントが終われば、とりあえず一段落ですし、いい機会なのです。かわいい男の子を監○……いや、家にあげて遊ぶにも、まず片付けないとね。Wiiにタイムクライシスシリーズが移植されたら買おうと思います。現状、魅力的なソフトがない。一本でも二本でもあればGAMECUBEを売るなりしまうなりして、代替わりさせるのです。しかし二ヶ所だけの赤外線センサーでスクエアポイントの認識ができるってなんかすごいですな。PS3のガンコンもそんな仕組みで、液晶TVに対応するようです。

 「母をたずねて」の続きを見ていたら、アルムおんじが出てきました(笑) って声の人が同じなだけなんですが相変わらずカッコいいおじいさん役です。水はない馬車は壊れる雪は降るで、行き倒れになりかけていた一行を救うのですが、一人住まいの家でしみじみと一行に聴かせてくれるスパニッシュギターの素晴らしさ。いわゆる泣かせるシーンでないのに、涙が……。

 スパニッシュギターは大好きなんです。クラシック全般は特に聴きませんがスパニッシュギターだけは別です。ソロでも退屈しません。弾けたらもっといいですがね。あのナイロン弦の優しさと哀愁がたまらない。

 で、ちょうど新しい音楽の供給不足だったんで適当に名演集みたいなのを買ってみました。手持ちがセゴビアの他はジャズよりの新しいのが多くて、「ちょっと違う」んですよね。知り合いがロックとジャズよりの音楽をやるか聴くか、に偏ってるんでまあしょうがないです。いろいろ聴いてマイフェイバリットを探し当てるしかないですな。

 なんかまた新しい音楽CDの規格が出てるんですね。二層になってて通常のCDと同じ層とDVD並の密度の層を持ってるんだとか。まあ僕は対応プレイヤー持ってないんで、高音質の恩恵受けられないので安い通常版買いましたがね。

 ユーザーに不利益をもたらさず高音質化とコピーガードを両立するなら、それもまたよしです。中古の値崩れも防げますしね。
 しかしもしパソコンで再生できるなら、コピーを防ぐことは絶対に不可能と思われますがね。デジタル信号をPCが処理して再生しているのだから、そのデジタルデータはパソコンのどこかに確実に存在せざるを得ないはずですから。

 業界の、異常にコピーガードにうるさいことと共有への批判には、僕は反感を覚えます。
 一番いけないのは、まっとうなユーザーをだまし討ちしてまで、コピーガードを、しかも不完全なコピーガードを優先することです。
 CCCD、デジタル放送の録画コピーワンスなどですね。「千と千尋の神隠し」が赤かった話もしかりです。金を出す人間をなめているから、みんな裏をかく方がまっとうだと考え始めるんですよ。

 コピーをほったらかしにしても、音楽や映像業界がそのことによって滅びることはありません。現状の映像や音楽の供給は、「金を出すに値しない」からこそCMつきのテレビでしかみな楽しまず、平気でコピーするのですよ。
 熱烈ファンになったら、特典版と通常版を二本とも買うでしょうが。
 無料でどんとんライブをやっているインディーズと商業ベースの音楽では、前者の方が今は全体に質が高く、商業化されると同じようなものを再生産しすり減って質が下がります。
 ジャズはすっかり「食えなく」なりましたが、優秀なアーチストは相変わらず集まっています。
 大衆的アートの隆盛と商業は切っても切れないものですが、商業最優先ではだめなんですよ。

 個人的には今の商業的J-POPなんか、滅んでも構いません。本当に音楽が好きで、新しいものを生み出したいアーチストは、それでも「表現」します。ネットならただでライブ中継できる。CDプレスだって今は個人でやっても安いもんです。

 だから、録画デッキハードに映像二次使用の料金を上乗せし、にも関わらず映像にコピーワンス措置を施し、しかもディスクムーブ時にデータ劣化をおこさせるような仕組みを作っておいて、パッケージCDやDVDの売り上げ枚数と値段と、Winnyによる圧縮劣化データのダウンロード数を並べて勝手に損失額を計上するような、そんな腐った業界は一回潰れやがれ。実際暴力団そののもの企業も多いしな。

 昔のアートは貴族が育てた。今は大衆が育てるものになった。営利企業じゃない。それではいけない。

 であれば、創作物は野に放たれるべきでしょう。売らんかなを考えて多方面に気を使いながらルーチンワークで作り出される音楽になど意味はない。

 繰り返しますが商業が頓挫しても絶対にアートや創作物は滅びません。そんなところに気を使うより、もっともっとよいものが生み出される素地を作りたいものです。ソフトウェアだってマイクロソフトが一番素晴らしいもの作ってますか? あの企業必要ですか? つぶれても誰も困らない。だからソフトのコピーも……ってなるんでしょうよ。

 さながらオープンソースのように、素晴らしい音楽を始めアートが広くただか極めて安い値段で楽しむことができるなら、小さな子どもは、早くから優れた芸術のシャワーを浴びられる。新しい音楽の裾野が広がる。
 小学生が一枚2800円のCDアルバム、そうそう買えますか? 無理がありすぎる。あれはMP3にしてただでみんなで回すのが普通のやり方であって、そのための値段です。僕らはレンタルで300円でレコードを借り、テープに録音して何人もでそのテープをもダビングしあったのです。

 CD一枚1200円、無理ですか? それじゃ商売成り立たない? だったら潰れなさい、ってことです。また繰り返すけれど、企業がなくなっても音楽は滅びない。

 某発展途上国ではコピーしたゲーム、CD類が平気で普通の店で売られていますが、一枚300円。
 でもね。この国の単純労働者の一日の賃金、500円くらいなんですよ。日本の肉体労働者12000円。日雇い派遣6000円。向こうの人は日本人の10分の1以下しか働かんのですか? ってそんなわけないよね。デッドコピーのCDだって、労働者でなく旅行者向けなんです。
 デッドコピーを批判しに行く前に、このわけのわからない歪みを問題にすべきです。

 日本にだって所得の格差はある。義務教育制度があらゆる層に機会均等を保証しようとするように、自由自在に、大人も子どもも貧乏人も金持ちも、あらゆるアートに触れられる社会こそ真の豊かさに向かっていると言えるでしょう。企業の収益が増えることが豊かさではない。

 先述、「母をたずねて三千里」で、ペッピーノ人形劇一座が一発あてる夜があります。
 移民のあつまる下町の酒場で、金持ちはそもそもいないが少し景気のいい者は酒を飲み、そうでないものはただ床に座って、一緒に歌ってショーを楽しむ。もっと金のない者は、窓からのぞき見て、楽しむんです。これを誰もとがめない。タダ見をね。酒場の中はだめでも、外なら肩車の子どもがいてもいい。

 高価な宝石や豪邸は成功者ともともと幸運な金持ちのものかもしれない。
 しかしあらゆる階層に解放されるべきモノ、空間といったものがあるように思います。
 バランスとアソビを心得た世の中こそ、少々の格差をも笑いとばせる優しい世界ではないのかと思いますね。完全な平等なんてしょせんあり得ないんだから。
 
 趣旨の遷延したまずい文章ですな。まあ日記だからよしなしごとだからってことで推敲はしません。
 たまに思ったことや考えたこと適当に書きつけるのって、日記本来の意義かもしれませんしね。

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