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僕よりも古くからショタ小説で同人活動を継続されている作家さんの、現在継続中のシリーズ。
一冊目を、申し訳ないことにいただいてからだいぶ経ってから読ませていただき、内容のあまりの素晴らしさに、メール。イベント会場でも感想をお伝えしました。
一度も学校に通わせてもらったこともなく、実の母とその愛人に商品として利用され体を売り続ける日々を送る少年。特筆すべきは彼を買う大人達の醜悪さで、行為の残虐さが純粋な萌えよりも当方に微妙な澱を残す、決して気持ちよくは読めない物語。路上で絵を売る年上の少年が、彼の唯一の太陽となるか。絵を描く少年もまた親による虐待からの生還者だった……。
サイト開設初期、僕は親の児童虐待に関するニュース記事も、サイトコンテンツに取り込んでいました。
最近それをしないのは、いくつかの理由がありますが、主として加虐者である親の、その子への尊厳の認識や愛のなさによるものと思います。正直言いますが、今でも性的な要素のあるものは萌えます。実際の被害児がいても。けれどたいがいのニュースは不快で、萌えネタになりようもないんです。
少年愛を文章であれ絵であれ表現する人は、たいがい作品を通じて少年を愛し、奉っているものと思います。僕もそうです。虐待虐待の果てに少年を殺害していてもです。価値のないものを壊して何の意味がありますか。しかもフィクションでしかやれない行為であるというのに。
先述作品では、加虐者はこれでもかというほど醜く不快で(しかも現代的リアリティをもっています)、そのことにより主人公の少年の脆弱で哀れでかつ崇高で美しい存在を浮かび上がらせます。心揺さぶられる愛おしさです。そして不快なはずの加虐者の中に、ごくわずか自分に重なる部分を見つけ気持ちがゆらぐ。これがリアル少年愛者への問いかけかと思います。
しかしやはり、この作品も、作者はこれでもかというほど少年美を描き賛美しています。これは変わらない。
僕は大半が強烈なSM傾向を持つ作品でありながら幾度も少年と加虐者たる大人の恋愛を描いています。歪んだね。
これは身勝手な妄想であるかもしれない。あるいは危険なね。
一面タチが悪いかもしれないんですよね。読んでリアショタ大人であってもストレートに不快な存在の責め手の方が潔いかもしれない。
けれど僕は大人の方の主人公にかなり自分を投影してしてしまうために、僕自身が嫌いで不快でたまらない人間にはできないことが多い。無間の黒崎ですら僕なんですからね。
そういう人間は子どもからみれば不気味で恐ろしいだけで、愛など成立し得ないという意見は、もっともだし、それが普通の感覚でしょう。
しかし僕はあり得ると思っています。誰だってかつては少年だったはずです。僕自身は少年時代まさか殺されていいとか思わなかったでしょうが、時期によりますが性的いたずらくらい全然構わなかったです。子ども部屋の伸介くんくらいの立場だったら、あのくらい愛されたら、最初に殴られていようと犯されていようと、逃げようとも思わないでおっちゃんを好きになっていったかもしれない時期はあります。本当です。あの話はご都合主義なんかじゃないんです。
あの頃のさびしさややりきれなさや、大人への不信感を、大人になってから出会った何人かの少年の中にみて、時に響き合い交わって、物語が生まれているのです。実際にはお話みたいなことはできませんがね。でも自分がされてもよかったと思える程度のことはやってみたい願望はありますよ。それが互いの望みならね。しませんが。しませんよ(笑)
伸介君や駿君は純粋にいい子ですが、僕の作品には屈折した変な子も多いです。FTrainやPTSD2の子とか。BAR体験談塾講師にやられるみっち君、御堂の涌坂とか(少年時代が描かれます)。
これはね、僕の子どもの頃みたいに変な子でさみしがりやで、僕とちがって外見がかわいかったら(笑)、もう絶対愛さずにいられないという僕の願望が投影されているのです。実際にも出会ったんだ何人か……。
話戻しますけど、最初に述べた小説、リアショタの人は必読です。僕より古いショタ小説同人さんつったら、もう絞られますよね。シリーズが続いてるんで、まだ紙媒体で最初のから買えるはずです。今三巻目までで、もしかしたら次でも完結せず五巻になるかも、って読んで思いました。イベントで買うべし。
一冊目を、申し訳ないことにいただいてからだいぶ経ってから読ませていただき、内容のあまりの素晴らしさに、メール。イベント会場でも感想をお伝えしました。
一度も学校に通わせてもらったこともなく、実の母とその愛人に商品として利用され体を売り続ける日々を送る少年。特筆すべきは彼を買う大人達の醜悪さで、行為の残虐さが純粋な萌えよりも当方に微妙な澱を残す、決して気持ちよくは読めない物語。路上で絵を売る年上の少年が、彼の唯一の太陽となるか。絵を描く少年もまた親による虐待からの生還者だった……。
サイト開設初期、僕は親の児童虐待に関するニュース記事も、サイトコンテンツに取り込んでいました。
最近それをしないのは、いくつかの理由がありますが、主として加虐者である親の、その子への尊厳の認識や愛のなさによるものと思います。正直言いますが、今でも性的な要素のあるものは萌えます。実際の被害児がいても。けれどたいがいのニュースは不快で、萌えネタになりようもないんです。
少年愛を文章であれ絵であれ表現する人は、たいがい作品を通じて少年を愛し、奉っているものと思います。僕もそうです。虐待虐待の果てに少年を殺害していてもです。価値のないものを壊して何の意味がありますか。しかもフィクションでしかやれない行為であるというのに。
先述作品では、加虐者はこれでもかというほど醜く不快で(しかも現代的リアリティをもっています)、そのことにより主人公の少年の脆弱で哀れでかつ崇高で美しい存在を浮かび上がらせます。心揺さぶられる愛おしさです。そして不快なはずの加虐者の中に、ごくわずか自分に重なる部分を見つけ気持ちがゆらぐ。これがリアル少年愛者への問いかけかと思います。
しかしやはり、この作品も、作者はこれでもかというほど少年美を描き賛美しています。これは変わらない。
僕は大半が強烈なSM傾向を持つ作品でありながら幾度も少年と加虐者たる大人の恋愛を描いています。歪んだね。
これは身勝手な妄想であるかもしれない。あるいは危険なね。
一面タチが悪いかもしれないんですよね。読んでリアショタ大人であってもストレートに不快な存在の責め手の方が潔いかもしれない。
けれど僕は大人の方の主人公にかなり自分を投影してしてしまうために、僕自身が嫌いで不快でたまらない人間にはできないことが多い。無間の黒崎ですら僕なんですからね。
そういう人間は子どもからみれば不気味で恐ろしいだけで、愛など成立し得ないという意見は、もっともだし、それが普通の感覚でしょう。
しかし僕はあり得ると思っています。誰だってかつては少年だったはずです。僕自身は少年時代まさか殺されていいとか思わなかったでしょうが、時期によりますが性的いたずらくらい全然構わなかったです。子ども部屋の伸介くんくらいの立場だったら、あのくらい愛されたら、最初に殴られていようと犯されていようと、逃げようとも思わないでおっちゃんを好きになっていったかもしれない時期はあります。本当です。あの話はご都合主義なんかじゃないんです。
あの頃のさびしさややりきれなさや、大人への不信感を、大人になってから出会った何人かの少年の中にみて、時に響き合い交わって、物語が生まれているのです。実際にはお話みたいなことはできませんがね。でも自分がされてもよかったと思える程度のことはやってみたい願望はありますよ。それが互いの望みならね。しませんが。しませんよ(笑)
伸介君や駿君は純粋にいい子ですが、僕の作品には屈折した変な子も多いです。FTrainやPTSD2の子とか。BAR体験談塾講師にやられるみっち君、御堂の涌坂とか(少年時代が描かれます)。
これはね、僕の子どもの頃みたいに変な子でさみしがりやで、僕とちがって外見がかわいかったら(笑)、もう絶対愛さずにいられないという僕の願望が投影されているのです。実際にも出会ったんだ何人か……。
話戻しますけど、最初に述べた小説、リアショタの人は必読です。僕より古いショタ小説同人さんつったら、もう絞られますよね。シリーズが続いてるんで、まだ紙媒体で最初のから買えるはずです。今三巻目までで、もしかしたら次でも完結せず五巻になるかも、って読んで思いました。イベントで買うべし。
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