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どうでもいい枕から、といえば天気ですが、金、土とピンポイントでいいようですね。土曜は少しでかけたい。川釣りとか、なんか企画があるとなおいいけど、近場でいいところ知らないなあ。今車で二時間とかはきついし。
水際で重症化は防げた感じですが風邪気味なんですよ。異常低温が二日ほど続いて、朝目覚めたら凍えそうで喉が痛いという。イソジンうがいと休養で、今のところ回復傾向です。
昨日たまたま、何か児童虐待がらみの記事かなんかがきっかけで、俺も子どもの頃親によく外に追い出されて鍵かけられましたよ、てな話をチャットでしていました。
少なくとも幼稚園の年長組から、もしかすると小学校低学年くらいまで、全裸で外に立たされた覚えもありますね。無論道路に晒し者とかじゃなくドアの前で、「反省するまでそこにいなさい!」「わーんおかあちゃん入れて」みたいな感じだったような。
今だとヘタすると通報されますし、欧州だと親逮捕ですな。しかし、それは「いい地域」でのこと。同年代で、鉄製の灰皿でオヤジに頭殴られて頭から血流して交番にふらふら駆け込んだのに、「ぼんは何悪さしたんや」で追い返された子もいたのです。先日も冬場夜中に上半身裸でふらついてた男の子が保護されてましたよね。
当時のうちの近所だと、毎夜毎夜泣き声と悲鳴が響くようなら、確実に助けが入ったと思いますし、だから「虐待」にまでエスカレートもしないんでしょうな。
ところで、小学校中学年くらいになっても、(着衣でw)締め出されたことは何度かあるんですが、あるとき何を思ったか僕は、通り二本離れた友人の家にそのまま行って、上がり込んでジュースを出してもらい、友達と遊んでしまったという経験というか、トンデモ行動をやらかしています。
親は心配して探しまくってたわけで、細かい記憶はないのですが、たぶん相当怒られたような。で、「締め出し」お仕置きはそれで最後となったはずです。
悪気はなくて、頭悪いので寒くて(なんだよクソ親とか思いながら)友人宅に行くことを思いつき、行ったら行ったで楽しくてお仕置き中を忘れてしまっていたというていたらくだったんじゃないかな。
うちの母親は同年代の友人間では菩薩とも言われるほど温厚で優しい人間と思われていたらしく、子どもを叩くとか怒鳴るとかお仕置きするとか、なかなか信じられなかったそうです。しかし男の子何人も育てるのはそう甘くないのですな。
虐待って言えばむしろうちのオヤジかな。ちゃんと結婚してるのに家にいない(笑)
夜型の仕事をしていたので、幼稚園だろうと小学校だろうと、帰ってもオヤジはいない。僕が寝てから帰ってきて、僕が起きる時は寝ている。会話なんてほとんどなかったです。
日曜の昼だとか、普段の夕飯時、オヤジがたまに帰ってくると、僕らは「お母ちゃんお父ちゃん『来はった』で」と母親を呼ぶわけです。お妾さんかよ(笑)
実際、まだオヤジの稼ぎがよくなく小さなボロアパートに住んでいた頃(畳六畳一部屋にふとんを敷いて、家族四人で寝るのです)、近所ではうちの母親はお妾さんか娼婦みたいに見られてたみたいです。なんせ真夜中にややこしい男が何人も出入りしていましたから。オヤジがデザイナーで、交遊関係がもう、三十年も前にロン毛カーリースキンヘッドにわけのわからんヒッピーみたいなファッションとか入れ墨とか、おかしなのばかり出入りしていましたから。菩薩はどこへ行った(笑)
しかしまあ、僕がいろいろ、特に小学校中学年以降から中学校くらいまで屈折して孤立感や苦悩を味わった原因は、ここらにはないように思いますな。
むしろ僕の、多様な価値観を受け止めるありようや、視野の広がりとか、生きる力の原点のいくつかは、こうしたちょっと特異な生育環境から得られたものが大きいようにも思えます。
水際で重症化は防げた感じですが風邪気味なんですよ。異常低温が二日ほど続いて、朝目覚めたら凍えそうで喉が痛いという。イソジンうがいと休養で、今のところ回復傾向です。
昨日たまたま、何か児童虐待がらみの記事かなんかがきっかけで、俺も子どもの頃親によく外に追い出されて鍵かけられましたよ、てな話をチャットでしていました。
少なくとも幼稚園の年長組から、もしかすると小学校低学年くらいまで、全裸で外に立たされた覚えもありますね。無論道路に晒し者とかじゃなくドアの前で、「反省するまでそこにいなさい!」「わーんおかあちゃん入れて」みたいな感じだったような。
今だとヘタすると通報されますし、欧州だと親逮捕ですな。しかし、それは「いい地域」でのこと。同年代で、鉄製の灰皿でオヤジに頭殴られて頭から血流して交番にふらふら駆け込んだのに、「ぼんは何悪さしたんや」で追い返された子もいたのです。先日も冬場夜中に上半身裸でふらついてた男の子が保護されてましたよね。
当時のうちの近所だと、毎夜毎夜泣き声と悲鳴が響くようなら、確実に助けが入ったと思いますし、だから「虐待」にまでエスカレートもしないんでしょうな。
ところで、小学校中学年くらいになっても、(着衣でw)締め出されたことは何度かあるんですが、あるとき何を思ったか僕は、通り二本離れた友人の家にそのまま行って、上がり込んでジュースを出してもらい、友達と遊んでしまったという経験というか、トンデモ行動をやらかしています。
親は心配して探しまくってたわけで、細かい記憶はないのですが、たぶん相当怒られたような。で、「締め出し」お仕置きはそれで最後となったはずです。
悪気はなくて、頭悪いので寒くて(なんだよクソ親とか思いながら)友人宅に行くことを思いつき、行ったら行ったで楽しくてお仕置き中を忘れてしまっていたというていたらくだったんじゃないかな。
うちの母親は同年代の友人間では菩薩とも言われるほど温厚で優しい人間と思われていたらしく、子どもを叩くとか怒鳴るとかお仕置きするとか、なかなか信じられなかったそうです。しかし男の子何人も育てるのはそう甘くないのですな。
虐待って言えばむしろうちのオヤジかな。ちゃんと結婚してるのに家にいない(笑)
夜型の仕事をしていたので、幼稚園だろうと小学校だろうと、帰ってもオヤジはいない。僕が寝てから帰ってきて、僕が起きる時は寝ている。会話なんてほとんどなかったです。
日曜の昼だとか、普段の夕飯時、オヤジがたまに帰ってくると、僕らは「お母ちゃんお父ちゃん『来はった』で」と母親を呼ぶわけです。お妾さんかよ(笑)
実際、まだオヤジの稼ぎがよくなく小さなボロアパートに住んでいた頃(畳六畳一部屋にふとんを敷いて、家族四人で寝るのです)、近所ではうちの母親はお妾さんか娼婦みたいに見られてたみたいです。なんせ真夜中にややこしい男が何人も出入りしていましたから。オヤジがデザイナーで、交遊関係がもう、三十年も前にロン毛カーリースキンヘッドにわけのわからんヒッピーみたいなファッションとか入れ墨とか、おかしなのばかり出入りしていましたから。菩薩はどこへ行った(笑)
しかしまあ、僕がいろいろ、特に小学校中学年以降から中学校くらいまで屈折して孤立感や苦悩を味わった原因は、ここらにはないように思いますな。
むしろ僕の、多様な価値観を受け止めるありようや、視野の広がりとか、生きる力の原点のいくつかは、こうしたちょっと特異な生育環境から得られたものが大きいようにも思えます。
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この記事へのコメント
えっと、僕も閉め出されたこと、あります。が、僕の場合、ドアを蹴破ってしまい…
確かに、それ以降はそんなお仕置きはなくなりましたね(汗
確かに、それ以降はそんなお仕置きはなくなりましたね(汗
2008/06/08(日) 22:21:19 | | R #28a4dbae53[ 編集]
やっぱり僕よりこわい人でしたかw
2008/06/09(月) 00:49:04 | | とりさん #56af02da0d[ 編集]
いやいやいや…
ちょっと足を動かしたら、パリーンって割れただけなのです。小学生の低学年な蹴りで割れてしまうのが悪いだけなのです。
間違っても人にはしないのです。特に可愛い子らには…
ちょっと足を動かしたら、パリーンって割れただけなのです。小学生の低学年な蹴りで割れてしまうのが悪いだけなのです。
間違っても人にはしないのです。特に可愛い子らには…
2008/06/09(月) 12:23:01 | | R #8d3eaf25df[ 編集]