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おもに少年愛と小説に関する雑記。エッセイとコラム
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時事ニュース
 ショタと何の関係もないし、本来表ブログに書くべきなんだけど、最近しんどくて二つを管理する余裕もないのでここへ。

 高専の女子生徒殺害容疑がかかっていて逃走中だった男子学生が、(たぶん)自殺死体で発見されたというニュースをさっきネットニュースで読んだ。バイクで逃走して山中で首吊り死体で見つかったそうで、安手のミステリ小説のオチのようだ。
 事件そのものには何の関心もない。が、どこかの週刊誌がまた実名報道をやらかしたらしいのがひっかかっていた。もっともこの件の場合指名手配されていたそうだから、警察が氏名や顔写真の公表を控えたこと自体がなにかおざなりというか、形式に従っただけという感じもある。
 これが逃走中の連続殺人鬼なら例え12歳でもTVも使って実名も顔も報道すべきだが、女子生徒一人への痴情怨恨容疑となると、どうか。大概の実名報道に反対の立場の俺でも、ちょっと迷うところだ。

 警察の判断を勝手に超えて個人の権利を踏みにじる権利は報道機関にはない。俗悪週刊誌ならずとも犯罪者の実名報道に俺は基本的に反対だ。
 犯罪者にだって家族がいる。小さな子どもがいる場合もある。成人した犯罪者の親に、何らかの責任を問うことも無理がある。だいたいそれを問うかどうか判断するのはマスコミではない。まして、「容疑者」の段階では被疑者は推定無罪だ。客観的に真っ黒でも実名報道されるいわれはない。容疑が確定して犯罪者と司法が確定しても、犯罪者を裁くのは司法であってマスコミではない。実名報道によって犯罪者は不当に二重に断罪され、社会復帰の道を失う。犯罪が重大であった場合こそ、いざ刑期を終えて出所してきた容疑者を何とか支えるべき血縁者がマスコミによって果てしないダメージを食らい、受け入れる意欲や能力を失ってしまったとしたらどうか。
 反対に実名報道によって得られるメリットは、事件の現在進行形での、「良心的第三者」の好奇心の充足程度に過ぎない。名前や住所なんかわからなくても、犯罪そのものについて論じることはできる。これは被害者の氏名も同じだ。

 実名報道が許される、というか必要なケースは、先に述べた、現在人に危害を加えるかもしれない人間がどこかに逃走潜伏している場合と、容疑者が社会的影響力の大きな人物である場合だ。政治家、皇室関係者、大企業(企業名)やその幹部や経営者などということになるだろう。芸能人や、まして一公務員に過ぎない教師も含まれない。先日交通事故で子どもを三人死なせた公務員にしてもだ。

 また機会があればそれこそ表ブログで述べたいが、すでに週刊誌のみならずTV、大新聞は権力の監視機構、第四の権力としての能力も意志も失って、ただ大衆の興味関心を煽って日銭を得るだけの紙屑に成り下がっている。
 司法に裁かれることすらご免被りたいのに、もし自分が何かやらかした時にマスコミが何か騒ぎ立てたら、逆に利用して彼らの愚かしさを嘲笑ってやりたいものだ。

 鬱が進むと文章は攻撃的になるらしいなw

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