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イヤハヤ、google絶不調ですな。gmailやadsenseどころか、根幹の検索まで落ちています。夕方現在。
このところgmailが重いなあとは思っていたんですよね。ユーザー増やしすぎかな。もはや容量よりは軽快さを追求する段階かと思いますが。
話はかわりまして、
先日の「硫黄島からの手紙」についてのブログに拍手コメントをいただきました。
>確か「父親達の星条旗」と関連があったような?
うろ覚えですいません。
その映画は僕も見ました。最近は戦争も色々な視点から描かれますね。
好みは人それぞれですが反戦や愛国心ばかりで無いのが嬉しいですね。
おっしゃる通りで、友人に聞いたのですが、「父親達の星条旗」がアメリカ視点で、組みで構想された作品のようです。
昔は、日本で作られる戦争映画と言えば、内地の人民の悲惨な死を描いて、戦争のむごさ、反戦平和を訴えるものばかりでした。
それが悪いというのではないのですが、「戦争は悲惨なものである、悪である、平和は尊い」というテーゼを固めてしまって、そこからものを作ろうとすると、何かが歪むと思うのです。これは逆も真なりで、「アメリカの原爆投下は今の世界の平和と秩序を形成するための必然だった」という主張から創作がスタートしては、これも大切なものを見失う。
だいぶ前ですが、もうじき公開のポニョのコンテを切っていた宮崎駿へのインタビューで、聞き手が「今回の映画のテーマは?」と訊くと監督曰く「テーマ? テーマなんてものはないんだ。まずテーマが先行しているようなモノ(創作物)てのは、全てがいかがわしい」とインタビュアーの言葉を遮るように答えたんです。
監督の腹の中にテーマがないはずはないんですよね。これを描きたい、これを伝えたいという軸のない創作物などあり得ない。しかしそれを質問することのあまりの愚かしさに、監督は苛立たしく極論で切り返したようです。「自然は大切? 友情は大切? だったら言葉でそう言えばいいだけじゃないか」と続けました。
アートの究極の目的を抽象化すれば、それは真実と美の追究であると以前述べました。
最初に、「世界平和を訴える映画を作ろう」などと考えたら、最初からそのテーマが強力な軛となって、真実に至る道を曇らせます。戦争を肯定するような、あの時代に喜びを生きたような人の言葉がもし残っていたら、この創作者はそれを揉み消すでしょうから。歴史をよく学びながら、調べながら、まず世界平和は本当に尊いのか、必死で考え直さないとね。
今左翼平和主義が、若い人達に響く言葉を持てなくなったのも、原因はこれです。弁舌、文章、創作物など全てが、スタートラインが硬直したテーマ、信仰、宗教であって、自分でかみ砕いて知ろうとしたり考えた真実でないものだったからです。
近頃ようやく、あの戦争にもいろんな視点が出てきました。そして、過去の反戦的作品にも、人間性、戦争そのものの真実をきちんと自分の目で見つめ自分の頭で考え、鋭く描いたものと、結果的に自分の政治的主張に人を引っ張れればいいというだけの、プロパガンダ的意味しかないものが存在することも、今なら見えてくるのではないかと思います。
9.11以降アメリカはとても危ないので、そのアメリカで、元西部劇のヒーロー、テキサスの英雄がこんな風にマジメに、取材し、考えた映画を作り得たっていうのが、いやさすが、映画の故郷アメリカ、まだまだ終わっちゃいないって、感動させてくれたんですよね。
こういう態度でものを作ると、創作物は「人間を描ける」んです。つまり「泣かせたい、感動させたい、反戦平和を、自然保護を訴えたい」とかをスタートラインにすると、話の中で動く人間がテーマに歪められて、存在感に欠ける空虚なものになっちゃうわけです。
わかって狙ってやるのはありなところが難しいんですけどね。エロビデオでは女は実はエロい本性持ってたことにしないと男は興奮しないし、だから「あり得ない女」でいいわけですが。
でもね、もう戦争映画に関して「平和を訴える」テーマ先行はうんざり。吐き気がするほどね。大勢の命や血を吐くほどの思いが実際の戦争の歴史の中にあるというのに、テーマ先行で人間を歪めたら、かえって軍備増強覇権思想派を利するでしょうよ。「ここに嘘がある。ゆえにこれは全てがプロパガンダだ」と。戦争を題材に「テーマ先行」をやることほどいかがわしい創作態度ってないと思うんです。
身近すぎる人の死や絶望的な国家の行く末、敗戦を九分九厘確信しながら、個々の人々が己の立場を超えられずやりきれぬ思いの中で運命に殉じていった姿。様々な政治思想的立場の人間に(なるべく)振り回されることなく、今知ることのできる真実にできるだけ迫り、己の頭で考え直したなら、そこから生まれるドラマが人の心を揺さぶらないはずがない。
そして、簡単に短い言葉で言えるような、同じテーマが、観た全員の心に刻まれるはずがないんですよ。それぞれの人が己の生き様と出会った人々を思いながら、映画のストーリーや登場人物に、それぞれの感情移入をするはずだからです。
歴史的事実である膨大な人の死を扱うならば、このような創作態度が求められるべきだと思うんです。真剣でいかがわしくない態度がね。
このところgmailが重いなあとは思っていたんですよね。ユーザー増やしすぎかな。もはや容量よりは軽快さを追求する段階かと思いますが。
話はかわりまして、
先日の「硫黄島からの手紙」についてのブログに拍手コメントをいただきました。
>確か「父親達の星条旗」と関連があったような?
うろ覚えですいません。
その映画は僕も見ました。最近は戦争も色々な視点から描かれますね。
好みは人それぞれですが反戦や愛国心ばかりで無いのが嬉しいですね。
おっしゃる通りで、友人に聞いたのですが、「父親達の星条旗」がアメリカ視点で、組みで構想された作品のようです。
昔は、日本で作られる戦争映画と言えば、内地の人民の悲惨な死を描いて、戦争のむごさ、反戦平和を訴えるものばかりでした。
それが悪いというのではないのですが、「戦争は悲惨なものである、悪である、平和は尊い」というテーゼを固めてしまって、そこからものを作ろうとすると、何かが歪むと思うのです。これは逆も真なりで、「アメリカの原爆投下は今の世界の平和と秩序を形成するための必然だった」という主張から創作がスタートしては、これも大切なものを見失う。
だいぶ前ですが、もうじき公開のポニョのコンテを切っていた宮崎駿へのインタビューで、聞き手が「今回の映画のテーマは?」と訊くと監督曰く「テーマ? テーマなんてものはないんだ。まずテーマが先行しているようなモノ(創作物)てのは、全てがいかがわしい」とインタビュアーの言葉を遮るように答えたんです。
監督の腹の中にテーマがないはずはないんですよね。これを描きたい、これを伝えたいという軸のない創作物などあり得ない。しかしそれを質問することのあまりの愚かしさに、監督は苛立たしく極論で切り返したようです。「自然は大切? 友情は大切? だったら言葉でそう言えばいいだけじゃないか」と続けました。
アートの究極の目的を抽象化すれば、それは真実と美の追究であると以前述べました。
最初に、「世界平和を訴える映画を作ろう」などと考えたら、最初からそのテーマが強力な軛となって、真実に至る道を曇らせます。戦争を肯定するような、あの時代に喜びを生きたような人の言葉がもし残っていたら、この創作者はそれを揉み消すでしょうから。歴史をよく学びながら、調べながら、まず世界平和は本当に尊いのか、必死で考え直さないとね。
今左翼平和主義が、若い人達に響く言葉を持てなくなったのも、原因はこれです。弁舌、文章、創作物など全てが、スタートラインが硬直したテーマ、信仰、宗教であって、自分でかみ砕いて知ろうとしたり考えた真実でないものだったからです。
近頃ようやく、あの戦争にもいろんな視点が出てきました。そして、過去の反戦的作品にも、人間性、戦争そのものの真実をきちんと自分の目で見つめ自分の頭で考え、鋭く描いたものと、結果的に自分の政治的主張に人を引っ張れればいいというだけの、プロパガンダ的意味しかないものが存在することも、今なら見えてくるのではないかと思います。
9.11以降アメリカはとても危ないので、そのアメリカで、元西部劇のヒーロー、テキサスの英雄がこんな風にマジメに、取材し、考えた映画を作り得たっていうのが、いやさすが、映画の故郷アメリカ、まだまだ終わっちゃいないって、感動させてくれたんですよね。
こういう態度でものを作ると、創作物は「人間を描ける」んです。つまり「泣かせたい、感動させたい、反戦平和を、自然保護を訴えたい」とかをスタートラインにすると、話の中で動く人間がテーマに歪められて、存在感に欠ける空虚なものになっちゃうわけです。
わかって狙ってやるのはありなところが難しいんですけどね。エロビデオでは女は実はエロい本性持ってたことにしないと男は興奮しないし、だから「あり得ない女」でいいわけですが。
でもね、もう戦争映画に関して「平和を訴える」テーマ先行はうんざり。吐き気がするほどね。大勢の命や血を吐くほどの思いが実際の戦争の歴史の中にあるというのに、テーマ先行で人間を歪めたら、かえって軍備増強覇権思想派を利するでしょうよ。「ここに嘘がある。ゆえにこれは全てがプロパガンダだ」と。戦争を題材に「テーマ先行」をやることほどいかがわしい創作態度ってないと思うんです。
身近すぎる人の死や絶望的な国家の行く末、敗戦を九分九厘確信しながら、個々の人々が己の立場を超えられずやりきれぬ思いの中で運命に殉じていった姿。様々な政治思想的立場の人間に(なるべく)振り回されることなく、今知ることのできる真実にできるだけ迫り、己の頭で考え直したなら、そこから生まれるドラマが人の心を揺さぶらないはずがない。
そして、簡単に短い言葉で言えるような、同じテーマが、観た全員の心に刻まれるはずがないんですよ。それぞれの人が己の生き様と出会った人々を思いながら、映画のストーリーや登場人物に、それぞれの感情移入をするはずだからです。
歴史的事実である膨大な人の死を扱うならば、このような創作態度が求められるべきだと思うんです。真剣でいかがわしくない態度がね。
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この記事へのコメント
そのハクコメ、実は私でした。
以前に長い議論にお付き合って頂いたので今回は短目にと考えハクコメにしました。
わざわざ回答まで貰い恐縮です。
ここ数年、色々な戦争映画が公開されました。
邦画だけでも「男達のYAMATO」「出口のない海」「俺は君のためにこそ、死にいく」等です。余り映画ファンと言えない自分ですが、やはり見ました。
作品に対し優劣をつけるなど私ごときがする話でないのでしません。
ただ、この中で私が一番気に入ったのが「男達の~」です。よろしければ見て下さい。
とりさんの本音が聞きたいですね。勿論、ヒマがあればですけどね。
私などのハクコメに返答頂き、くどい様ですが有難うございました。
以前に長い議論にお付き合って頂いたので今回は短目にと考えハクコメにしました。
わざわざ回答まで貰い恐縮です。
ここ数年、色々な戦争映画が公開されました。
邦画だけでも「男達のYAMATO」「出口のない海」「俺は君のためにこそ、死にいく」等です。余り映画ファンと言えない自分ですが、やはり見ました。
作品に対し優劣をつけるなど私ごときがする話でないのでしません。
ただ、この中で私が一番気に入ったのが「男達の~」です。よろしければ見て下さい。
とりさんの本音が聞きたいですね。勿論、ヒマがあればですけどね。
私などのハクコメに返答頂き、くどい様ですが有難うございました。
2008/07/18(金) 22:12:05 | | 今昔 #294e2b3842[ 編集]
どもども^^ どれも見てないや(笑)
基本、映画は娯楽性の高いものが好きでして、見てから考え込むようなのはあまり観に行かないんですよね。でもよくできたものならぜひ見たいですね。何より、反戦平和前提でないと公開もできないような雰囲気でなくなっただけでもよい風潮です。欧州においてももう少しナチズムを冷静に描けるようにならないと、本当の表現の自由など語れないと思いますね。
基本、映画は娯楽性の高いものが好きでして、見てから考え込むようなのはあまり観に行かないんですよね。でもよくできたものならぜひ見たいですね。何より、反戦平和前提でないと公開もできないような雰囲気でなくなっただけでもよい風潮です。欧州においてももう少しナチズムを冷静に描けるようにならないと、本当の表現の自由など語れないと思いますね。
2008/07/18(金) 22:35:32 | | とりさん #553b73afa5[ 編集]
素晴らしいですね。ヨーロッバにおけるナチス、日本の特攻、アメリカのインディアン迫害、バルカンの民族構造などは表現な自由を守る為にも描いて頂きたいですね。
2008/07/18(金) 23:57:35 | | 今昔 #294e2b3854[ 編集]