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このブログは、少年愛、ショタ、僕の同人活動を中心としたものではありますが、僕が最近iPhoneiPhoneと騒いでいるように、日記的内容、時事ネタ、アート談義など何でもありです。これまで一度もありませんが(ずいぶん幸運だと思います)、中傷合戦などになってしまった場合には、あとはメールでやりましょうとして、ブログから記事を削除して、といった展開もありますが、政治的にきわどいネタも含めて、少なくとも最初のネタふりが僕だった場合には責任を持ちますから、ご遠慮なくメッセージ、コメントをどうぞ。
今日はまくらに(僕の嫌いjなモノ、を話題にしたブログへの)拍手コメントを紹介させていただき、
>某ゲイサイトの相談質問板では「相談」板なのにも関わらず自分と同意してないレスに対しては感謝の気持ちすらなく(そのレスだけ無視)別の端末で「ウザイ」だの書いてる輩が多いです。
嫌いな物あげた中で特に共感が持てたのは創価学会ですね。僕には到底理解の出来ない組織です。
ただ日本のラップは良いですよ…、人には個別な考えが有りますから「ラップ馬鹿にする奴許せねぇYO!!」なんてなりませんが笑少なくとも大衆に受ける曲(作詞作曲していないアイドルの歌やセールスの為の曲)よりは良いです。格好良い・可愛い人がもっともらしい失恋曲を歌えばそりゃ売れます、日本ですもの笑その分全部とは言いませんが、日本人のラップでも「音楽」を楽しんでいるのもあります。二番煎じが多いですがね。ラップなんだかレゲェなんだかってのもありますし。許せないのはアイドルが曲の途中で入れるラップですね。流行ってるから挿れましたって感じで。
とまぁ、そんな感じです。
音楽の話をさせていただきます。
実は僕、本家の黒人のラップもそんなに好きじゃありません。ポップシーンにおける音楽のメッセージ性というものは、結局大したことなかったな、と、熱狂当事者でない僕は思うのです。ボブディランとか、ヒッピームーブメントとか、ブルーススプリングスティーンとかね。
それでもイエスキ○ストやム○ンマドよりは良質だったかもしれませんがね。あらゆる意味で。
メロディよりも言葉、言葉の中身とそれをいかにノリよくリズムに乗せるかか、ラッパーの腕の見せ所。その、「ノリ」の部分だけは本家のものに楽しめるものがありました。
日本語ラップの最初の洗礼は僕にとってはあの「DAYONE」とかいうやつだったのです。中身もノリも「ムカツク」の一言でしかない。いとうせいこうの言葉遊びなど音楽でも詩でもないただの妨害電波に他ならなかったのです。
その後のRIP SLIMEや、いくつかのバンドの作る曲は、わりとうまく日本語を処理して、日本語ラップならではのノリを作りだしているので、レベルの向上は否定しませんが、結局僕は、鳴らしっぱなしのカーラジオで日本語ラップが鳴る度に、音量を最小にするという行動に出るわけです。
ただもし、Dragon Ashがこの領域に入るなら、ちょっと事情は変わってきますね。Wikiでは入れてるんですがちょっと違うんじゃないかと僕は思いますが。Dragon Ashの評価は個人的にかなり高いんですよね。ですからかならずしも日本語ラップというジャンルが全てアウトってわけではないのかもしれません。これまでヒット率がゼロに近いどころか聴くと不快になるほどひどいのが多かったというところで。
歌詞のメッセージが先行したものは、そうだからではなくできてきたもののあまりのくだらなさに、僕は受け入れがたいのですよね。しばらく有線でよく鳴っていたMOTHERとか、よくこんなもん名前と顔出しで世の中に出せるよなと思ってしまう。
僕が神とあがめるアーチストはジミヘンです。エリッククラプトンも好きです。中一の頃、主体的に本当に音楽が好きになった頃、すり切れるほど聴いた「レコード」はビートルズです。
音楽には(ロックには、かな)一定の毒がなければ、僕にはあまり存在価値がありません。ポップアーチストごときの説教なんか、僕には一銭の価値もないので、メッセージソングなんかいらないのです。
俺を興奮させてくれ、酔わせてくれ、時には狂わせてくれ、と、そういうものを求めます。もちろん、それが全てではないですが、もっとも求める音楽はそれです。
まだ三十過ぎだったのに、ワウペダルを延々と手で押しながら、「ワウがおかしい……」とつぶやき続け、麻薬のやり過ぎだったか、ベッドで吐瀉物を喉に詰まらせて死んだジミヘンドリックス。創りだしたものが「たかが」大衆音楽であったとしても、彼は高みに昇るために命をかけ、触れてはならない神の領域に触れて翼を溶かして死んでいったのです。
しかし彼は、オープンステージで十万人以上もの人間を熱狂させ、ギターを猛り狂わせ、そしてたぶん、自身も天にも昇る快感に酔っていました。
このような一瞬を得られるならば、どんな無残な死に様が待っていても構わないと僕は思うし、自分にはそんなチャンスは絶対にないし、だからこそ神とあがめる、ジミヘンドリックスなのです。
そのようなものの再来はもはや期待せず、JPOPでは、過去、僕が好きだった音楽を、巧みにパッチワークして商品化するアーチストの曲を、僕は好んで聴きます。奥田民生、椎名林檎、スガシカオなどですね。
ビートルズを擦り切れるほど聴いていれば、奥田民生がパフィに提供した曲のあの部分はビートルズのあの曲のあの部分で、と次々に指摘できるはずです。彼には誤魔化す気すらないので、逆に不真面目でないビートルズへの愛を感じるんですよ。だから自分と似たような音楽世界が好きな職人が作る音楽として、僕は彼らの音楽を楽しみます。そう、アーティストでもクリエイターでもなく、職人と思っています彼らのことを。決して見下した意味でなくです。
趣味も合わないごっこ遊びのなんちゃってアーティストにつきあうくらいなら、上質の職人の音楽を楽しみながら、もしかして生きているうちに、次代の本当の開拓者、アーティストが出ないものでもないと、0.1%くらいは期待しながらね。
今日はまくらに(僕の嫌いjなモノ、を話題にしたブログへの)拍手コメントを紹介させていただき、
>某ゲイサイトの相談質問板では「相談」板なのにも関わらず自分と同意してないレスに対しては感謝の気持ちすらなく(そのレスだけ無視)別の端末で「ウザイ」だの書いてる輩が多いです。
嫌いな物あげた中で特に共感が持てたのは創価学会ですね。僕には到底理解の出来ない組織です。
ただ日本のラップは良いですよ…、人には個別な考えが有りますから「ラップ馬鹿にする奴許せねぇYO!!」なんてなりませんが笑少なくとも大衆に受ける曲(作詞作曲していないアイドルの歌やセールスの為の曲)よりは良いです。格好良い・可愛い人がもっともらしい失恋曲を歌えばそりゃ売れます、日本ですもの笑その分全部とは言いませんが、日本人のラップでも「音楽」を楽しんでいるのもあります。二番煎じが多いですがね。ラップなんだかレゲェなんだかってのもありますし。許せないのはアイドルが曲の途中で入れるラップですね。流行ってるから挿れましたって感じで。
とまぁ、そんな感じです。
音楽の話をさせていただきます。
実は僕、本家の黒人のラップもそんなに好きじゃありません。ポップシーンにおける音楽のメッセージ性というものは、結局大したことなかったな、と、熱狂当事者でない僕は思うのです。ボブディランとか、ヒッピームーブメントとか、ブルーススプリングスティーンとかね。
それでもイエスキ○ストやム○ンマドよりは良質だったかもしれませんがね。あらゆる意味で。
メロディよりも言葉、言葉の中身とそれをいかにノリよくリズムに乗せるかか、ラッパーの腕の見せ所。その、「ノリ」の部分だけは本家のものに楽しめるものがありました。
日本語ラップの最初の洗礼は僕にとってはあの「DAYONE」とかいうやつだったのです。中身もノリも「ムカツク」の一言でしかない。いとうせいこうの言葉遊びなど音楽でも詩でもないただの妨害電波に他ならなかったのです。
その後のRIP SLIMEや、いくつかのバンドの作る曲は、わりとうまく日本語を処理して、日本語ラップならではのノリを作りだしているので、レベルの向上は否定しませんが、結局僕は、鳴らしっぱなしのカーラジオで日本語ラップが鳴る度に、音量を最小にするという行動に出るわけです。
ただもし、Dragon Ashがこの領域に入るなら、ちょっと事情は変わってきますね。Wikiでは入れてるんですがちょっと違うんじゃないかと僕は思いますが。Dragon Ashの評価は個人的にかなり高いんですよね。ですからかならずしも日本語ラップというジャンルが全てアウトってわけではないのかもしれません。これまでヒット率がゼロに近いどころか聴くと不快になるほどひどいのが多かったというところで。
歌詞のメッセージが先行したものは、そうだからではなくできてきたもののあまりのくだらなさに、僕は受け入れがたいのですよね。しばらく有線でよく鳴っていたMOTHERとか、よくこんなもん名前と顔出しで世の中に出せるよなと思ってしまう。
僕が神とあがめるアーチストはジミヘンです。エリッククラプトンも好きです。中一の頃、主体的に本当に音楽が好きになった頃、すり切れるほど聴いた「レコード」はビートルズです。
音楽には(ロックには、かな)一定の毒がなければ、僕にはあまり存在価値がありません。ポップアーチストごときの説教なんか、僕には一銭の価値もないので、メッセージソングなんかいらないのです。
俺を興奮させてくれ、酔わせてくれ、時には狂わせてくれ、と、そういうものを求めます。もちろん、それが全てではないですが、もっとも求める音楽はそれです。
まだ三十過ぎだったのに、ワウペダルを延々と手で押しながら、「ワウがおかしい……」とつぶやき続け、麻薬のやり過ぎだったか、ベッドで吐瀉物を喉に詰まらせて死んだジミヘンドリックス。創りだしたものが「たかが」大衆音楽であったとしても、彼は高みに昇るために命をかけ、触れてはならない神の領域に触れて翼を溶かして死んでいったのです。
しかし彼は、オープンステージで十万人以上もの人間を熱狂させ、ギターを猛り狂わせ、そしてたぶん、自身も天にも昇る快感に酔っていました。
このような一瞬を得られるならば、どんな無残な死に様が待っていても構わないと僕は思うし、自分にはそんなチャンスは絶対にないし、だからこそ神とあがめる、ジミヘンドリックスなのです。
そのようなものの再来はもはや期待せず、JPOPでは、過去、僕が好きだった音楽を、巧みにパッチワークして商品化するアーチストの曲を、僕は好んで聴きます。奥田民生、椎名林檎、スガシカオなどですね。
ビートルズを擦り切れるほど聴いていれば、奥田民生がパフィに提供した曲のあの部分はビートルズのあの曲のあの部分で、と次々に指摘できるはずです。彼には誤魔化す気すらないので、逆に不真面目でないビートルズへの愛を感じるんですよ。だから自分と似たような音楽世界が好きな職人が作る音楽として、僕は彼らの音楽を楽しみます。そう、アーティストでもクリエイターでもなく、職人と思っています彼らのことを。決して見下した意味でなくです。
趣味も合わないごっこ遊びのなんちゃってアーティストにつきあうくらいなら、上質の職人の音楽を楽しみながら、もしかして生きているうちに、次代の本当の開拓者、アーティストが出ないものでもないと、0.1%くらいは期待しながらね。
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