×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
最近ちょっと、二次元及びパロに対する認識というか、好みが変わってきたなーと、ふと思いました。
僕は基本三次元ショタで、実在する男の子が好きで、まあエッチもしたい性向の持ち主なわけです。
ショタエロ、BL、やおいなんて創作ジャンルが存在することを知ったのも、あるいはそうした世界が形成、成長したのも、とっくに自分が性的に目覚めて以降の話なわけですね。
従って当初は、二次元なんてのは三次元の代用品に過ぎないと。生身の男の子はもちろん、写真や実写映像とでもまあ、それこそ次元の違う存在だったわけです。
中でも、パロってのはヒットしなかった。
上記に加えて僕はオタクじゃないんですよね(オタクをバカにしてるんじゃないです)。
ドラえもんも小学校中~高学年の初映画化、コロコロ全盛の頃に年齢相応に楽しんだわけで、高校生以降に少年向けアニメや特撮とかって、別に見向きもしませんでした。だから、原作のキャラに「萌え」でそのパロなら興味惹かれるってことはなかったわけです。
だいたいですね、キャラクター造型をはしょった上に原作のキャラが絶対しない言動を漫画の上でさせてどうなんだと思うんですよね。オリジナルならキャラクター造型の段階でエロ展開に無理のないのを作ればいいわけでして。
確実に誰かの作品をこき下ろすことになって申し訳ないですけど、アニメコミックの「パロ小説」で萌えるどころかろくなもの見たためしがない。固有名詞をどれかのアニメなり漫画ののキャラに置き換えればどうにでもなるものばかりでしたね僕の知る限り。
先日、三井さんの宗介がすごい、ってブログで書きましたけど、本来出るはずだった○ッキングパパパロの、マコトくんもパパも、オリジナルでは絶対あんなことはしません(笑) でもね、原作のアイデンティティはちゃんと生き残っている。絵柄もそうで、パパはほぼそっくりで、マコト君は原作よりもかわいく、ショタ心をくすぐるようにアレンジされているわけです。
原作のマコト君も作者のイマジネーションの産物ですが、ひとつの男の子の理想像が凝縮されています。それをショタ向けに三井流シフトさせているわけですね。
それから昨日、「龍参り」ってサークルさんのレイトン×ルーク本をデジケで買いました。
ここはMOTHERってゲームパロ中心だったんですが、だいぶ前からサイトでレイトン本作るって書いてて、試作イラストなんかあがってたんですっよね。
原作ゲームのレイトンとルークの関係にしてからがあやしさ爆発(女性にでれでれするレイトンにむっとするルークとか)で、ルーク君もかわいいので、僕も描きたいなあと思ってたんですが……ここは基本的にうまいんで、どんなの出てくるか非常に楽しみでした。
本当は紙媒体で買いたかったんですよ。なんか金色使って豪華な表紙にしてるみたいでしたし。でもまあ通販もしてないようだし早く見たいし、ってことで。
中身は大変な力作でしたが、やはり原作における二人の関係、キャラクター造型、世界のアイデンティティを貫きつつ、見事にショタエロにシフトさせています。
やおい用語的には「誘い受け」っていうんですか、そういうルークと、保護者であるはずが振り回されるレイトン、ケンカして、でもエッチになると、結局いつの間にかやっぱり子どものルークと、興奮を抑えきれないレイトン、みたいな。
絵柄も、僕も描いてみたからわかるんですが、ルークは二作でかなり絵柄が変わっていまして、トータルにはかわいいですが模写ではうまくいかないんです。これを自分のものにして、自分がかわいいと思うアレンジをされていますね(二人とも帽子を取ったシーンが平気であるのはちょっと驚きましたw ゲームでは絶対脱がないんです)。
虚構の世界にも魅力的な少年は存在するのであり、それをショタエロの世界に引っぱってくるのがエロパロだとするなら、実際に見かけた、出会った、思い出の子をモデルにキャラクターを造型して物語を描くのと、プロセスは変わりませんね。
固有名詞を置き換えたり、顔をすげかえればどれでもなんでもいいようなとか、元のキャラに絵的にも性格的にも何の意味もないようなのはダメダメですけど、これはパロの出来不出来であって、パロそのものがだめってことになりませんね。
てなわけで、最近二次元、二次創作、パロの奥行きと魅力に、ふと気づきあらためて引き込まれつつある自分がいます。んで、自分でもいじりたいキャラが出てきたりね。マルコ君とかルーク君とかあたりは、本を出すとか売るとかは別次元として、描いていじってみたいなあ、とあらためて最近思っています。
トナーカートリッジ自社工場再生のお店エコラボリーショップ
僕は基本三次元ショタで、実在する男の子が好きで、まあエッチもしたい性向の持ち主なわけです。
ショタエロ、BL、やおいなんて創作ジャンルが存在することを知ったのも、あるいはそうした世界が形成、成長したのも、とっくに自分が性的に目覚めて以降の話なわけですね。
従って当初は、二次元なんてのは三次元の代用品に過ぎないと。生身の男の子はもちろん、写真や実写映像とでもまあ、それこそ次元の違う存在だったわけです。
中でも、パロってのはヒットしなかった。
上記に加えて僕はオタクじゃないんですよね(オタクをバカにしてるんじゃないです)。
ドラえもんも小学校中~高学年の初映画化、コロコロ全盛の頃に年齢相応に楽しんだわけで、高校生以降に少年向けアニメや特撮とかって、別に見向きもしませんでした。だから、原作のキャラに「萌え」でそのパロなら興味惹かれるってことはなかったわけです。
だいたいですね、キャラクター造型をはしょった上に原作のキャラが絶対しない言動を漫画の上でさせてどうなんだと思うんですよね。オリジナルならキャラクター造型の段階でエロ展開に無理のないのを作ればいいわけでして。
確実に誰かの作品をこき下ろすことになって申し訳ないですけど、アニメコミックの「パロ小説」で萌えるどころかろくなもの見たためしがない。固有名詞をどれかのアニメなり漫画ののキャラに置き換えればどうにでもなるものばかりでしたね僕の知る限り。
先日、三井さんの宗介がすごい、ってブログで書きましたけど、本来出るはずだった○ッキングパパパロの、マコトくんもパパも、オリジナルでは絶対あんなことはしません(笑) でもね、原作のアイデンティティはちゃんと生き残っている。絵柄もそうで、パパはほぼそっくりで、マコト君は原作よりもかわいく、ショタ心をくすぐるようにアレンジされているわけです。
原作のマコト君も作者のイマジネーションの産物ですが、ひとつの男の子の理想像が凝縮されています。それをショタ向けに三井流シフトさせているわけですね。
それから昨日、「龍参り」ってサークルさんのレイトン×ルーク本をデジケで買いました。
ここはMOTHERってゲームパロ中心だったんですが、だいぶ前からサイトでレイトン本作るって書いてて、試作イラストなんかあがってたんですっよね。
原作ゲームのレイトンとルークの関係にしてからがあやしさ爆発(女性にでれでれするレイトンにむっとするルークとか)で、ルーク君もかわいいので、僕も描きたいなあと思ってたんですが……ここは基本的にうまいんで、どんなの出てくるか非常に楽しみでした。
本当は紙媒体で買いたかったんですよ。なんか金色使って豪華な表紙にしてるみたいでしたし。でもまあ通販もしてないようだし早く見たいし、ってことで。
中身は大変な力作でしたが、やはり原作における二人の関係、キャラクター造型、世界のアイデンティティを貫きつつ、見事にショタエロにシフトさせています。
やおい用語的には「誘い受け」っていうんですか、そういうルークと、保護者であるはずが振り回されるレイトン、ケンカして、でもエッチになると、結局いつの間にかやっぱり子どものルークと、興奮を抑えきれないレイトン、みたいな。
絵柄も、僕も描いてみたからわかるんですが、ルークは二作でかなり絵柄が変わっていまして、トータルにはかわいいですが模写ではうまくいかないんです。これを自分のものにして、自分がかわいいと思うアレンジをされていますね(二人とも帽子を取ったシーンが平気であるのはちょっと驚きましたw ゲームでは絶対脱がないんです)。
虚構の世界にも魅力的な少年は存在するのであり、それをショタエロの世界に引っぱってくるのがエロパロだとするなら、実際に見かけた、出会った、思い出の子をモデルにキャラクターを造型して物語を描くのと、プロセスは変わりませんね。
固有名詞を置き換えたり、顔をすげかえればどれでもなんでもいいようなとか、元のキャラに絵的にも性格的にも何の意味もないようなのはダメダメですけど、これはパロの出来不出来であって、パロそのものがだめってことになりませんね。
てなわけで、最近二次元、二次創作、パロの奥行きと魅力に、ふと気づきあらためて引き込まれつつある自分がいます。んで、自分でもいじりたいキャラが出てきたりね。マルコ君とかルーク君とかあたりは、本を出すとか売るとかは別次元として、描いていじってみたいなあ、とあらためて最近思っています。
トナーカートリッジ自社工場再生のお店エコラボリーショップ