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おもに少年愛と小説に関する雑記。エッセイとコラム
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同人とは
 最近、僕自身がそれに関しちょっとした(言葉の上での)トラブルに見舞われたり、お友達サークルさんにそういう話題を振られたり、相談されたり、ということもあって、ちょっとこれについて考えました。

 広辞苑より
 同人「同じ志の人、同門の人、仲間」
 同人雑誌「主義・趣向・趣味などを同じくする人達が共同で編集発行する雑誌。同人誌」

 これは、明治の口語文学の新思潮が次々生まれて、後に有名作家になる人達が共同で活動し、発行した雑誌、白樺派と雑誌『白樺』とか、そういうのを指してますけど、コミケに代表されるここ三十年の「同人誌即売会」における同人や同人誌にも、意外とすぱっと当てはまって意味はずれていません。

 ここからはもっぱらその、コミックやアニメのパロディを軸にした同人、同人誌、同人誌即売会について述べますが、上記は念頭においておいて下さい。

 同人誌即売会においては、本来「客」というのは存在せず、「サークル参加者」と「一般参加者」とで成り立つものです。もちろん「売り子」がいて金銭が行き交うので、商行為がないとは言えませんが、本の値段も「頒価」(頒布価格)とか言ったりします。

 趣味嗜好を同じくする者が、モノをつくり、作らない人はそれを買い、サークルを支えたり楽しみを共有するのが、同人誌即売会のもともとの位置づけではないかと思います。

 ところが、コミケは数十万という異常な人間を動かす大イベントとなり、出版不況下においてここでの「人気サークル」の売り上げは数百万からそれ以上となり、一部の有名プロ作家、漫画家以外を一蹴するほどの収益をあげるようになりました。
 明らかな商業的存在である「本屋」の中に同人誌を専門にするところもでき、それで商売が成り立って、もうこうなると、買い手も単に客、同人活動と商行為の境目も、極めて曖昧となりました。

 その上、インターネットの普及で、デジタルコンテンツ販売が一般化すると、在庫リスクがないため、小ロットをかき集めて十分商売となる、というとことから、「同人ダウンロード」サービス(明らかな商行為)が活発化し、僕の本でさえ(ここでの「さえ」は本の価値について卑下してるんではなくて、極度のマイノリティをターゲットとしている意味で、言っています)、そこで「販売」できるようになりました。携帯の電子書籍もしかり。

 「ショタ」ジャンルに限っても、こうしたものの他、「商業誌」にコミックやイラストを執筆し(明らかなプロ活動)、重心がプロに寄ってるか同人に寄ってるかは様々にしても、ばっさりと「商売には一切してません」と言える作家さんは、有名な方では少数になってしまったんじゃないかと思いますね。

 で、言いたかったのはここからで、
 でもだからこそ、「同人」の原点はやっぱ、特に即売会参加をする(サークルなので本を出すという意味でもあります)際には、忘れずにいたいと思うわけです。

 ・ 売れる売れないではなく己が好きなものを作ること
 ・ 趣味嗜好を同じくするか、近い人との交流を、サークル、一般問わず大切にすること

 の二点ですね。
 抽象的なこの二点を認識することによって、周りで「何かを失った」サークルさんが、なぜそうなったかも理解でき、最近感じるいくつかの若いサークルさんへの違和感も、その原因がはっきりとつかめるようになります。

 無論、僕だって商売っ気は出しています。スタンスは人それぞれです。人を騙すような行為や礼儀を著しく逸する行為でなければ、「もともとの同人スタンス」なんてどうでもいいという人がいても勝手です。
 しかしながら、以前親世代の人に「そこで対話を閉ざすと、一生平行線になる」と、全然別の話題で僕自身が言われたことがあり、「ある世代の、ある行為は、上のある世代にとって非常識で不快である(ことが多い)」くらいは誰もが知っておく必要があり、あえてぶつかるようにしないことも大切です。
 僕と僕の親世代で言えば、自身の親は大丈夫ですが「皇室の悪口」はタブーです。またこっちがよく不愉快になるのは共産党と外国籍の人への中傷です。タブーのはずがよく聞かされて不快になったものです。

 同人には同人の不文律があります。自分の作品が好きでもない人(感想のひと言も聞いたことがない)に売らんがためにゲストを頼まれて、気持ちよく引き受けられますかい? もうちょっと言うと、相手の作品に少しも魅力を感じない場合、その人にゲストを頼まれても、引き受けないのが同人としては正しいのです。ここで最上部の定義を見てもらえれば……ね。

 かつ同人のゲストというのは、原則無償の行為なのです。趣味嗜好を同じくする者同士の交流、高めあい、楽しみあい、です。
 ついでに言うと本を作るのにはコストもかかるので、「お互い様」を原則に、自分の本は自分でお金を出してつくります。ページの8割がゲスト様の本でも、自分で作り、収益も自分のものとします。お互いにです。もちろん作った本を差し上げるのは最低限の礼儀ですが。
 で、僕ぐらいのピコ手だと、特にオフセットの同人誌は原則赤で、一年とかかかって印刷代をなんとか回収するような感じですんで、金銭的にずるいことをしている感覚もないし、実際していません。
 まあ僕が、でかい黒を出して、それがたくさんのゲストの方を呼んだアンソロだったら、オフにゲストさんを呼んで、全額自分持ちで飲みましょう! くらいするかもしれません(してみたいです)が、収益の分配なんていやらししい、そんなの同人じゃない、ってのが自分の感覚です。ただ共同制作は「その時は一つのサークル」なので話は別です。

 しかしまあ数百万の話となれば(数十万でも、ですね)、ゲスト原稿がごく一部でなく3割5割となった場合、あらかじめ分配を決めて明朗会計にしないと「同人だから」で割り切れなくはなりますよね。そういうのとごったまぜになってるから、最近ややこしいわけです。

 「ゲスト原稿」は渡した相手のもの。それを切り刻まれても(まあそんなことされたら縁は切るでしょうがw)、仕方ないのですね。例えば原稿渡した人が病気にでもなって、力作がお蔵入りになっても、それも仕方のないことなのです。

 もし、自分が過去ゲストで人に渡した原稿を、再利用したいなら、「お断り」を入れなきゃいけないのはゲストをした、原稿を渡した方です。
 病気のお蔵入りの例でいけば、「もう発刊が不可能なら、自分の本であの原稿使わせてもらっていいですかねー」とお伺いをいれるわけですね。まあこれでダメっていう人もいませんが。
 お断りなしの再利用が許されるのは、作品の鮮度が相当落ちている場合で、ゲストした本が完売、再版の見込みなし、もしくは相手の作家さん行方しれず(こういう例もあるんです)とかです。
 鮮度のある現在販売中の本のゲスト作品を、「自分の本で出したい」「勝手に出す」は、バッドマナーです。買い手だって戸惑うでしょう。

 常識が常識で通らなくなる。僕自身未だ同人としては若輩と思っているのに、時代は変わっていくようですが、ここに書いたような「常識」に生きている同人屋のはしくれもいることは、後発の人こそしっかり意識すべきで、いたずらに感情を逆撫でしないようにするのが最低の礼儀ってやつじゃないかと思います。

 考え方の違いは仕方がないが礼は守れ。これは不易と流行のうちの不易にあたる。これは言い切ってよいと思うのですがいかがでしょうか?

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