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おもに少年愛と小説に関する雑記。エッセイとコラム
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テーマとドラマ
 さっきテレビをつけたら、神木隆之介が吹き替えやってるとかいう洋画の、記者会見だかチャリティーイベントの模様が映っていた。
 「この映画は、自然を守るのがテーマということで……」とか、彼も言っていたのだが……

 ちょっと前に、宮崎駿氏の密着ルポの再放送を見た。その時彼は、インタビュアーに「この作品のテーマは?」と問われ、「テーマなんてものはないんだ。テーマが前面に出ているようなものは全ていかがわしい。自然を大切にしたければ自然を大切にって口で言えばいいんだから」と早口で質問を遮っている。

 この宮崎氏の答えには二つの意味がある。彼が半ば不快感をあらわにして質問を遮ったのは、テーマを制作者に問うことそのものが、すでに愚であるということなのだ。聞くより見ろ、ということで、映画を見る気があるなら、質問する必要のないことなのである。

 もう一方は言葉通り。「いかがわしい」とまで言い切るのはさすがだと思う。社会的テーマが前面に押し出されているようなものに、本当のエンタテイメントも芸術も成立しえない。道徳の教科書とは違うのだ。

 だからと言って、彼の作品に「テーマがない」はずはない。言葉で答えるべき質問ではないから、そう答えたのだろう。

 芸術は至る所「真実と美の追究」である。何が美しいのか、人間とは何か、宇宙とはなにか、である。それにフィクションを創作する人間には(いやそうでなくても)誰にも、生きてきた社会や、人間関係や、事件や、喜びや、悲しみがある。その中に、完全に個人的でない普遍性のあるものも多い。同時代に生きた人間なら、まして共有できることがらが多い。
 創作に向かうときに、その人ならではの、願いや、理想や、夢や、感動、一方絶望や怒りが表現される。それらが作り手の生きた社会と完全に乖離しているはずがなく、結果的に社会的メッセージが生まれるのである。

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 これが逆転しているということは……ようするに作られる美や感動も、いかさまであるということだ。実際には多くは、作り手の意志に反して、逆転した宣伝がなされていることが多いのではあるが。
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