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一時期、ファッションデザイナーがバタバタとエイズで死にました。これはこの人たちが、ゲイであるばかりでなく、パートナーとの大人しいSEXで満足していなかった可能性が高いことを示しています。まあエイズは潜伏期も発症後の進行も極めて緩慢な病気ですから、「若気の至り」の結果の可能性もあるのですが。
三島由紀夫が厳密にゲイであるかは、難しいところです。僕は彼の場合ナルシズム要素や早熟な頽廃嗜好からの独特な性嗜好で、「男しか愛せない」「男に愛されたい」というのと、少々ズレるかと分析しています。
画家には、常人にはとうてい想定し得ない異様な配色の作品を、いくつも残している人がいますし、ゴッホの絵からむらむらとわき上がる情念は、淡泊な人を「ひかせる」に十分なものをもっています。
芸術家、後世であれ高く評価された芸術家には、変態さんや狂人が、他の世界の比ではないほど多いということは、言ってしまっていいのではないかと思います。
多様な側面があることを認識しつつ、僕はこれらの説明を、とりあえずナルシズムと代償作用に求めたいと思います。
自分が他人と異なるという違和感。なぜ自分は、普通に女の子が好きにならないのか、血を見ると興奮するのか、いつも性的な妄想ばかり浮かべているのか、鏡の中の自分に恋をするのか……。
違和感は、孤独感は、つらい。こういう場合、自己嫌悪に陥り、死にたいと思い、また一方自分を変えて、平凡な、普通の人になりたい、多くの周囲の人と共感しあって、仲間になりたい、というありきたりの心理に流れることが、よくあるパターンです。実際多くの人は妥協点を見つけ、大人になるに従って、じりじりと「丸く」なっていくものです。
しかしこれ、やっぱり何の苦しみもなくノーマルである人よりつらいし、何か自分が本当にノーマルである人より劣等で不完全である感じは、払拭できないでしょう。
三島由紀夫が厳密にゲイであるかは、難しいところです。僕は彼の場合ナルシズム要素や早熟な頽廃嗜好からの独特な性嗜好で、「男しか愛せない」「男に愛されたい」というのと、少々ズレるかと分析しています。
画家には、常人にはとうてい想定し得ない異様な配色の作品を、いくつも残している人がいますし、ゴッホの絵からむらむらとわき上がる情念は、淡泊な人を「ひかせる」に十分なものをもっています。
芸術家、後世であれ高く評価された芸術家には、変態さんや狂人が、他の世界の比ではないほど多いということは、言ってしまっていいのではないかと思います。
多様な側面があることを認識しつつ、僕はこれらの説明を、とりあえずナルシズムと代償作用に求めたいと思います。
自分が他人と異なるという違和感。なぜ自分は、普通に女の子が好きにならないのか、血を見ると興奮するのか、いつも性的な妄想ばかり浮かべているのか、鏡の中の自分に恋をするのか……。
違和感は、孤独感は、つらい。こういう場合、自己嫌悪に陥り、死にたいと思い、また一方自分を変えて、平凡な、普通の人になりたい、多くの周囲の人と共感しあって、仲間になりたい、というありきたりの心理に流れることが、よくあるパターンです。実際多くの人は妥協点を見つけ、大人になるに従って、じりじりと「丸く」なっていくものです。
しかしこれ、やっぱり何の苦しみもなくノーマルである人よりつらいし、何か自分が本当にノーマルである人より劣等で不完全である感じは、払拭できないでしょう。
そうなると、逆のパターンも生じます。
自分は特別である。自分は才気にあふれている。自分は美しい。このように認識し、自分に磨きをかける。その特別さを多くの凡庸な人間に認めさせてこそ、自分は特別たり得る。劣等ではなく天才である。
強烈な孤独感、自然の摂理に反するような常識的には醜い欲望。これらを飲み込み、自分の栄養とするためには、自分が選んだ芸術という方向において、この人はあらゆる努力を惜しまず、それこそ変態的に執着し、こだわって、常人の築き得ない世界を作るだろう。
というようなことです。僕個人としては、そう思ってアブナイ芸術家の作品を見るとさらに味わいが深くいとおしく、毒のないアートが、いっそう軽く無意味に感じます。
あ、もっとも変態さんや狂人がみんなアートの才能があるということではありません。あしからず。
ただしこれだけは言えます。他人との違和感、変態性すら、一種の生きていく武器に変えうるということ。代償作用は何も天才だけのものではありません。
自分は特別である。自分は才気にあふれている。自分は美しい。このように認識し、自分に磨きをかける。その特別さを多くの凡庸な人間に認めさせてこそ、自分は特別たり得る。劣等ではなく天才である。
強烈な孤独感、自然の摂理に反するような常識的には醜い欲望。これらを飲み込み、自分の栄養とするためには、自分が選んだ芸術という方向において、この人はあらゆる努力を惜しまず、それこそ変態的に執着し、こだわって、常人の築き得ない世界を作るだろう。
というようなことです。僕個人としては、そう思ってアブナイ芸術家の作品を見るとさらに味わいが深くいとおしく、毒のないアートが、いっそう軽く無意味に感じます。
あ、もっとも変態さんや狂人がみんなアートの才能があるということではありません。あしからず。
ただしこれだけは言えます。他人との違和感、変態性すら、一種の生きていく武器に変えうるということ。代償作用は何も天才だけのものではありません。
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