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体調が上がってきません。寝てばかりで何も手につかない。
そんな中、先日一気に「母をたずねて三千里」を視聴コンプリートしました。つまりDVD見るにも気合いがいるくらい調子が悪いので、見だしたら一気に、と思ったわけです。
一般的にはどうかわかりませんが、この作品の魅力はまず第一にマルコ君の造型にあると思います。礼儀正しく家族思いのよい子ですが、外見から思わせるような大人しく何事もじっと耐えるとかいうタイプではなく、かなりの激情家で、むら気があって、怒ったり、泣いたり、時には八つ当たりをしたり、無茶をしたり、と、「男の子」らしいリアルな存在感があります。
僕は番組中のマルコより幼い時にこれを見ていたはずなので、記憶にほとんどなかったですが、殴り合いのケンカをするタイプという印象は全くなかったですね。小さい体で大人に飛びかかっていくんですよ。ここらで一気に、彼に入れ込んでしまいました。
旅の中でマルコがすることは、あとの計算もなく全てを投げ出す行動であることがたびたびあります。これは子どもの強さであり、純粋さであり、美しさです。
メレッリという、マルコ一家を騙して結果的にマルコにとんでもない苦労を背負わせた人物は、弱い大人の代表です。見栄を張り、嘘をつき、いつか行き詰まります。
ペッピーノという人形一座の男は、やはり見栄っ張りでいつまでも夢見がちな弱い男です。奥さんにも逃げられています。でも根は善良だし、侠気も捨てていない。それが底辺を生きた男同士ながら、メレッリの正体を見破り、さらなる嘘によって彼がマルコを苦境に追い込んだと知った時、ペッピーノがメレッリを殴るシーンに集約されています。
大人の視点でこのアニメを見ると、ペッピーノにすごく近親感がわきますね。
マルコの純粋さは確かに美しいのですが、「幼くて計算ができない」という要素による部分も大きいのです。マルコは知り合ったばかりの貧しいインディオの女の子の治療のために、旅費として貸し受けた全財産を投げ出します。こうした決断こそ侠気です。でも子ども連れのペッピーノには絶対できないことなんですよね。町の医者だって一人タダで診たらもうあとへ引けないです。仕事になりません。だから貧乏人の診察は門前払いです。
また、様々な人との出会いがもたらすマルコ自身の視野の広がりは、こういう言い方好きでないですが「ためになる」ものではないかと思います。「乞食」呼ばわりされ、行き倒れそうな立場を味わい、大道芸人一家という底辺を生きる家族と寝食を共にする一方で、一生労働などと縁のない大人、子どもの生活も見つめる。マルコに入れ込んで話を楽しむ(というかけっこうつらいので味わうというべきか)と、見えなかったものが見えてくる、というような人々と社会の描き込みは、大人の視聴にも立派に耐えます。
人間って意外と小さな世界に生きているもんです。僕自身前の仕事では、最終的には夜逃げしてしまった貧しい家庭の親子から、医者親子、古典芸能の名門の師弟、大都市の暮らし、一日にバス五本のいなか、漁師町、雪国とか、いろいろな人と知り合っていろんな土地に暮らし、自分の大学出るまでの世界がおそろしく狭かったことを実感しました。
まあ実際なら死んでしまうでしょうけど(笑)、あれだけの旅をすれば、彼は大人になって本当の意味で人に優しい人間になれそうですね。上から人を見た同情とかでなく。
もともとが100年前の話であることもあり、今見てもいささかも古びた感じはしないので、今の子どもにも見せられるでしょうね。教育的意図ってのはイヤなんですがね。
少年だけがもてる、勇気や、弱さや、優しさ、強さ、戸惑い、さびしさなどが52話に目一杯盛り込まれていました。
僕が一場面だけ鮮明に記憶していたのは、最後の最後、もう歩くだけになったマルコの靴が片方壊れてしまい、補修した靴で歩きその足をケガして、片足素足で歩き続けるシーンでした。制作者視点から言えば、さんざんひどい目に遭わせてきての(笑)、アップダウンの繰り返しのなかの、物語のピークで、やっぱり印象に残っていただけのことはありましたね。
作画の面でも、これも子どもの頃はなんとなくしかわからなかったに違いないですが、単に絵がきれいとかいうだけでなく、さまざまな面で極めて巧妙です。この頃すでに、宮崎駿の力量と個性が相当作品に反映されていると思いますね。
ついでに、外見的な面でも、主役としてはマルコ君はかなり個性的な部類でしょうね。
じっさいだったらやせ細って三回ぐらいは死んでそうなドラマですが、顔かたちは最後までふっくらしててよかったです(笑) 僕的には抜群の萌えキャラですね。既製のアニメではほんと珍しく。
ちゅうわけで資料はそろったんで、また絵に描きたいですね。エンジンかかりませんが……
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そんな中、先日一気に「母をたずねて三千里」を視聴コンプリートしました。つまりDVD見るにも気合いがいるくらい調子が悪いので、見だしたら一気に、と思ったわけです。
一般的にはどうかわかりませんが、この作品の魅力はまず第一にマルコ君の造型にあると思います。礼儀正しく家族思いのよい子ですが、外見から思わせるような大人しく何事もじっと耐えるとかいうタイプではなく、かなりの激情家で、むら気があって、怒ったり、泣いたり、時には八つ当たりをしたり、無茶をしたり、と、「男の子」らしいリアルな存在感があります。
僕は番組中のマルコより幼い時にこれを見ていたはずなので、記憶にほとんどなかったですが、殴り合いのケンカをするタイプという印象は全くなかったですね。小さい体で大人に飛びかかっていくんですよ。ここらで一気に、彼に入れ込んでしまいました。
旅の中でマルコがすることは、あとの計算もなく全てを投げ出す行動であることがたびたびあります。これは子どもの強さであり、純粋さであり、美しさです。
メレッリという、マルコ一家を騙して結果的にマルコにとんでもない苦労を背負わせた人物は、弱い大人の代表です。見栄を張り、嘘をつき、いつか行き詰まります。
ペッピーノという人形一座の男は、やはり見栄っ張りでいつまでも夢見がちな弱い男です。奥さんにも逃げられています。でも根は善良だし、侠気も捨てていない。それが底辺を生きた男同士ながら、メレッリの正体を見破り、さらなる嘘によって彼がマルコを苦境に追い込んだと知った時、ペッピーノがメレッリを殴るシーンに集約されています。
大人の視点でこのアニメを見ると、ペッピーノにすごく近親感がわきますね。
マルコの純粋さは確かに美しいのですが、「幼くて計算ができない」という要素による部分も大きいのです。マルコは知り合ったばかりの貧しいインディオの女の子の治療のために、旅費として貸し受けた全財産を投げ出します。こうした決断こそ侠気です。でも子ども連れのペッピーノには絶対できないことなんですよね。町の医者だって一人タダで診たらもうあとへ引けないです。仕事になりません。だから貧乏人の診察は門前払いです。
また、様々な人との出会いがもたらすマルコ自身の視野の広がりは、こういう言い方好きでないですが「ためになる」ものではないかと思います。「乞食」呼ばわりされ、行き倒れそうな立場を味わい、大道芸人一家という底辺を生きる家族と寝食を共にする一方で、一生労働などと縁のない大人、子どもの生活も見つめる。マルコに入れ込んで話を楽しむ(というかけっこうつらいので味わうというべきか)と、見えなかったものが見えてくる、というような人々と社会の描き込みは、大人の視聴にも立派に耐えます。
人間って意外と小さな世界に生きているもんです。僕自身前の仕事では、最終的には夜逃げしてしまった貧しい家庭の親子から、医者親子、古典芸能の名門の師弟、大都市の暮らし、一日にバス五本のいなか、漁師町、雪国とか、いろいろな人と知り合っていろんな土地に暮らし、自分の大学出るまでの世界がおそろしく狭かったことを実感しました。
まあ実際なら死んでしまうでしょうけど(笑)、あれだけの旅をすれば、彼は大人になって本当の意味で人に優しい人間になれそうですね。上から人を見た同情とかでなく。
もともとが100年前の話であることもあり、今見てもいささかも古びた感じはしないので、今の子どもにも見せられるでしょうね。教育的意図ってのはイヤなんですがね。
少年だけがもてる、勇気や、弱さや、優しさ、強さ、戸惑い、さびしさなどが52話に目一杯盛り込まれていました。
僕が一場面だけ鮮明に記憶していたのは、最後の最後、もう歩くだけになったマルコの靴が片方壊れてしまい、補修した靴で歩きその足をケガして、片足素足で歩き続けるシーンでした。制作者視点から言えば、さんざんひどい目に遭わせてきての(笑)、アップダウンの繰り返しのなかの、物語のピークで、やっぱり印象に残っていただけのことはありましたね。
作画の面でも、これも子どもの頃はなんとなくしかわからなかったに違いないですが、単に絵がきれいとかいうだけでなく、さまざまな面で極めて巧妙です。この頃すでに、宮崎駿の力量と個性が相当作品に反映されていると思いますね。
ついでに、外見的な面でも、主役としてはマルコ君はかなり個性的な部類でしょうね。
じっさいだったらやせ細って三回ぐらいは死んでそうなドラマですが、顔かたちは最後までふっくらしててよかったです(笑) 僕的には抜群の萌えキャラですね。既製のアニメではほんと珍しく。
ちゅうわけで資料はそろったんで、また絵に描きたいですね。エンジンかかりませんが……
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