忍者ブログ
おもに少年愛と小説に関する雑記。エッセイとコラム
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

博覧強記は世の誉れ
 眠いだるい。かなり調子が悪いが、イベント行けるのかな……。そしてサークルリストはまだか。

 今日はしんどくて長い文章書けないので、だいぶ前に書いたメモ引っぱりだしてきた。

 博覧強記とは、要するにたくさん本を読んでいろんなことを知っている「物知り」を指す。
 文科省が「生きる力」とか「変化への対応」を言い出す以前から、どうもこの言葉、あまりいい意味で使われなくなっていた。とある公務員採用試験の宣伝文句「ペーパー秀才はいらない」とかね。

 しかしよく勉強することは極論、「知識の量を増やすこと」だと俺は思う。そしてそれは価値あることで、よく勉強して博覧強記たり得た人は、尊敬に値し、多くは社会に有用である。
 ペーパー秀才で、実践行動力に欠けるなんてことはない。受験生の暗記なんてものは、どこまで行っても「知」の観点からはママゴトに過ぎない。本当の知識は、膨大な量を蓄積することによって生き生きと躍動し始めるのだ。

 前ふりが長かったが、子どもが小説を書くことはとても難しい。たぶん絵より難しいと思う。物語を展開するのには神のごとき視野を必要とする。たとえ小学生ばかりが登場する物語であっても、小学生自身が持つ世界は甚だしく狭く、「幼稚」な人物造型、筋書きににしか、なかなかならないだろう。詩なら、大人が読んでもはっとするようなものを書く子は、ぽつぽついるものだが。
 さまざまな小説サイトを見ていて、やっぱり知識量は重要だと思わずにいられない。
 文章の巧拙は、文意がねじれる、意味不明とかいう次元でなければ、いい小説の絶対的な要素ではない。
 しかし「大人」レベルの、そこそこ以上の知識は、絶対に必要。これがないと、説得力のある世界を構築できない。幼稚と感じる文章は、知識の裏打ちがない。
 性別、年齢、職業、生育歴など様々な条件によって人間のパーソナリティは規定されるが、登場させたいあらゆるタイプに出会うことはできないし、職業だってそうそう何種類も経験するわけにいかない。女になって男を愛するわけにもいかない。
 そんな時も、映画や本に出てくる人物が役立つだろう。

 生身の出会いから得られる世界は、誰しもわずかなもの。しかしこれが創作における個性と自分だけの世界の源泉であって、本や映画や、様々なソースから学習して蓄積した知識が、この世界に無限の広がりを与え、他人を説得する客観性をも付与してくれるのだと思う。

拍手[0回]

PR
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Comment:
Pass:
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック