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おもに少年愛と小説に関する雑記。エッセイとコラム
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年始に 既成概念をぶち壊せ
 明けましておめでとうございます。
 今年も当店をよろしくお願いします。

 さて、このブログにしては珍しく、ちょいまじめなネタ。まあ「子ども」には関係あるかな。

 「ゆとり教育」叩かれてますね。
 僕はゆとり賛成です。ちょっと前までは消極的賛成、総論賛成各論反対だったけど、あえて力一杯賛成。
 ゆとり教育ってダメだね、とか言ってるあなた、自分の目でものを見ていますか? 自分の頭で、ものを考えていますか。

 詰め込み世代に、どれだけの子どもが荒れた学校で学習環境を失ったかご存じですか。小5で三割、中二で六割の子が、算数数学で「落ちこぼれ」学習をあきらめた現状を、忘れましたか。
 詰め込み世代を勝ち抜いた、「正義よりも力と知恵と立身出世」の人間が、官僚になり、今の日本の社会システムをどのように腐らせたか、見えていないのですか。

 学びへの意欲の低下、積み重ねや努力の軽視や、正義の消失が子ども社会に生じているとすれば、その最大の原因は、今社会を支える、彼らの親世代やその前後の世代において、積み重ねた高い技術への対価の極端な低下、実体経済に関わって努力を積み重ねるより山師的投資家が報われる現実、不正の横行や下請けいじめ、不安定雇用労働者搾取など、「まっとうに努力を積み重ね世の中に出る意欲をそぐ現実」の連打にあります。
 この病巣は重く、改革は至難です。しかしそこに目を背けて、攻撃しやすいものに視点を誘導するマスコミに乗せられておいて、「ゆとり世代の若者」をバカにするのは情けない限りです。戦わずして敗れ敗れたことすら理解できないってことですね。

 四則演算と単純な読み書きができれば、生きていけます。詰め込みはそこまでで十分。あとはやりたいものがやりたいことをやれる、時間と場所を提供すれば、公教育のシステムは御の字です。秩序、平和、環境、そして仲間です。遊んでしゃべっていい本や楽しい音楽や美しい絵に触れられることです。直接的に理数の平均得点上げても、断言します、子どもも社会も、一切得るものはない。
 それじゃ国際競争力落ちる? それは前述の通り、社会システムの責任。高い技術、能力、努力……エネルギーと才能に富む人材に精神的にも物的にも豊かな暮らしがのぞめるシステムです。不正が罰せられる正義の通る社会です。
 だいたい、そういう世の中にならないなら、豊かになっても国際的競争力をつけてもむなしい。結局底辺はまずしくて弱者はいじめられ最初から「持てる者」だけが、威張り散らすだけの社会です。本質を見失った豊かさや成長、「勝利」など、何の意味もない。

 そして最大の問題は、大半の「社会人」が、評論家や被害者然として、全く当事者意識がないことです。
 一応、一人一票あって、首相をバカにしても警察に捕まらないぎりぎり民主主義の日本です。今の社会の現状は、連帯でみんなに、責任があることなんですよ。

 「立派なことを言うじゃねえか、じゃあお前は何をした」とでも言われれば、僕はそれなりにやれることをやってきたと、胸を張りますよ。社会的リーダーの器じゃない中では、精一杯にね。そしてできなかったことや、やるのをあきらめたことに関しては、その結果は引き受けてきたし、今後もそうする。人のせいにはしません。ここが肝心と思います。人のせいにしないことがね。
 性的マイノリティの素顔をさらしているこの場と、普段の行動・言動はもちろん変えていますが、自分のなかでは整合性はとれていて、ずるさはないつもりです。今組織人じゃないんで、ほとんどごまかしがいらなくなりましたからね。

 とりあえず、ごまかしてるくせにごまかしてる自覚無く、何も見えてないのに見えてると思いこみ、ただの既成概念に乗っかって、正義面して、借り物にすぎないその基準からのモラルや、法から逸脱を責め立てる。こういうのは、俺の敵。
 もちろん俺は正義でも聖人君子でもないし、むしろその逆だけど(ある立場から見ればね)、でも生きてるし、これからも生きる気なので。
 個人は無力だから、なるべくこそっとはしてるけど、売られたけんかは、今年も買い続けるよ。たいがい売ってる自覚がなくて、自分は正しくて「普通」と信じてる方が多いし、それがタチ悪いんだけどね。クタバレ普通。

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コメント
この記事へのコメント
ゆとりとは
相互リンクありがとうござました☆
乳陰妄想のtoddlerboyです。
せっかくですのでブログの方に足跡残していきますね。

ゆとり教育。色んな意味で賛否難しいと思います。僕も普段、教育の場に携る機会があるのでよく思うんですが、この『ゆとり』は決して子どもたちにだけ向けたものではなく、先生たちに向けたものでもあります。

親たちの己の正義だけを奮って、あれは駄目これは駄目と言われ、生徒たちにはソッポを向かれ、そして仕事に追われ。並大抵の努力では勤まらないと先生方を見ていて同情してしまいます。

あと、今の小学校の通知表の評価方法や、順番を付けて争わない、などというのは本当に子どもたちのためになるのでしょうか

本来、弱肉強食は自然界では当たり前の事。でも、弱い事は負ける事とは違います。弱いものに支えられなければ強いものは勢力を奮うことは出来ないんです。

ひとりひとりが自らの能力や才能、性格をしっかりと把握し、自分自身精一杯物事をこなす。その事をしっかりと『自覚』出来る人間になれれば、人として上も下も無いと僕は信じています。

今の子どもたちのために、本当の意味での教育を1日も早く見直すべきだと思います。
2008/01/05(土) 00:18:51 | URL | toddlerboy #8d3597761f[ 編集]
コメントどうもです
>小学校の通知表の評価方法
地域によってかなり違います。一概にいえませんが昔よりよくなっています。
>順番を付けて争わない
幻想です。順番はつけております。なお勉強というものは競争に適しておりません。運動会で順番をつけないという学校があれば、間違っています。そして競争しないといっても、テストには点がつき、100点の子より20点の子が劣ってると実感するのは当然です。

弱肉強食は自然界の掟ですが、人間界にこれを簡単に持ち込むことはできません。多様な能力や特性を活かし合うことが社会的生命体としての人間の特性だからで、知的障害者が知的に劣っていることは事実ですが、当代最高の知的エリートがその人の笑顔に救われることもある。単純化したパラメーターで人を序列化することは極めて危険で、人の社会性を弱体化させ、総体を不幸にします。
一人一人の能力を最大化させる機会が得られる教育システムと、多様な能力を活かし互いにその恵沢を得られる社会システムで成長を出迎えることが理想です。
2008/01/05(土) 00:34:29 | | とりさん #5611fda99b[ 編集]
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