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おもに少年愛と小説に関する雑記。エッセイとコラム
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ゆとり批判を叩きのめす
ニュースから一席

 兵庫県警明石署などは27日、同県明石市の高校2年の男子生徒(17)ら16~18歳の少年4人と少女1人を傷害容疑で逮捕し、神戸地検に最終送検したと発表した。

 調べでは、5人は昨年10月19日午後11時~翌20日午前6時ごろ、明石市内の大蔵海岸公園で、知人の高校1年の男子生徒(16)に、お笑いタレントの小島よしおさんの「でも、そんなの関係ねぇ」「オッパッピー」のギャグをするよう強要。「面白くない」と言いがかりをつけ、首を金具でフェンスに固定して暴行したり、上半身を裸にして海にけり込むなどし、鎖骨を折る重傷を負わせた疑い。5人は「ふざけてやった」と供述しているという。


 Mixiの日記「これだからゆとりは……」
 もううんざりだな。
 俺が中学校の頃、いとこの通ってた学校大荒れで、財布を持っていけなかった。解剖も悪質なのが日常茶飯事。
 臨時採用で教壇に立ってたある学校。自閉症の男の子を丸裸(全裸ね)にして、そのまま服を捨てて下校させたような不良集団がいた。授業中に隣の用具室でペンキぶちまけとか、生徒指導中にバカスカドア蹴られたりとか、もう頭来て、俺もかなり戦ったけど、バイクは壊されるし、管理職は逃げ腰だしで、けっこうつらかった。本当の卑劣漢てのはああいう連中を言うんだろう。
 俺がおっさんの「不良自慢」が大嫌いなのは、こうした経験によるところが大きい。なにがちょいワルだ氏ね(これも一度言いたかったw)。ただ弱くて卑怯だっただけだろう。

 話を戻すが、だからゆとりなんかなんの関係もない。いつの時代もヤクザも不良も卑怯者もいて弱い者いじめもあったのだ。美しき明治にも残虐な少年犯罪はあった。

 ただし、時代を反映した事件も無論ある。いとこの学校のケースなどは詰め込み教育や管理教育の破綻の果ての、校内暴力、学校秩序の崩壊や、ゴーストタウンと化した団地だらけの、地域社会の崩壊が背景にあったのだ。

 因果関係を明瞭にせず、安易なラベリングをすれば問題の本質を見失う。思考停止だ。ものを考える力がないのは、頭を使う意志もないのは、安易なラベリングに流れる、当事者ゆとり世代を含む知性放棄の連中全ての欠陥である。

さらにちょっとゆとり教育についてつっこんでおこうか。
 ゆとり教育は先述の詰め込みによる早期からの落ちこぼれの多発や、そのために起こる小学校高学年以降の逸脱行動多発、学校秩序の崩壊からの回帰には、福音といえる方針転換だった。
 文科省が掲げる表向きの看板は「創造性」や「ゆたかな心」の育成。産業界が、「使えない受験エリート」に代わる、「クリエイティブかつ遵法精神や労働意欲に富む人材」を求める声に応じたものだ。
 だが文科省の役人も、現場を知らないバカばかりではない。前述の実態もふまえて、基礎基本の定着も意識したカリキュラムの改革を行った。

 一時に比べて、学校の「荒れ」は沈静傾向にある。それと、学校嫌いも減った。たらたら遊びに行っているようであってもそれはそれで構わない。意欲のある者が、学習できる環境があればそれでいい。押し着せられ煽られての勉強で身につく力などろくなものではない。四則演算と新聞が読めて自分が作ったものの説明書ぐらい書ける読み書きの力があれば十分生きていける。「平均値」の学力など、くそくらえだ。個人に何を資するところもない指標である。ボトムが上がっていて、才能と意欲ある人間に無限の機会が与えられればいいのだ。
 方針としてはゆとり教育は間違っておらず、一定の成果はあったのだ。
 この世代になって甘やかされてバカになった子どもが特に増えたという現実は、100%存在しない。幻想である。断言する。

 過渡期におけるカリキュラムの移行のまずさ、現状の学習内容削減の仕方のまずさ、総合学習のパイの異常な大きさなど、大胆すぎて、各論において失敗の多い改革ではあった。
 また本質的な教育サービスの向上は、予算の傾注なくしてはなしえないのに、国庫の窮乏もあってそこはむしろ後退している。
 教員の負担はサービスの多様化や家庭の教育力低下、大胆な改革への対応など様々な要因により爆発的に増えた。人を増やさず、従ってフルタイムで普段の業務を抜けられないのに、年間百時間の新設教科に対応するための研修を重ねた教員の苦労など、外部の人間にはわからない。平和な学校でも大変だったのだ。教員は文句も言わずに働き過ぎだった。しかし体力にも気力にも限界がある。内部にいたときには言い訳にすまいと思っていたが、やはり今思えば加速度的に勤務条件は悪くなっていた。
 授業を複線化するにしても、教える人が足りなければ、本当の意味での少人数能力別など不可能なことくらい、子どもでもわかる。

 口先ばかりでよさそうな看板を掲げ、もともと足りない人間をこき使うことでそれを実現しようとしても破綻するのは当然だ。結局のところ公共教育サービスは、着々と低下している。つまり納税者への利益還元を行っていない。
 民間が、サービス向上を行おうとするとき、王道は看板よりも人と設備に金を投じることだろう。「優秀な講師」が、「生徒何人につき一人」います。こんなに本がある図書館、心安らぐ学習スペースに、こんなに立派な運動場に体育館、スポーツ指導者は国体上位経験者です。なんて具合だ。

 抽象的な看板だけで金も人も出さずに何が実現できるものか。
 この問題は今のゆとり施策に始まったものではないが、過去50人学級を40人まで減らした際に確実にともなっていた予算の傾注がなく、基礎基本の定着以外あいまいな言葉ばかりの看板を掲げた点は、過去にないほど問題だ。

 つまりゆとり教育施策の欠陥の最大の点は、方針そのものではなく、「夢のような」方針に適合した予算が伴っていなかったことなのである。今後多少授業時間を増やすとか、中途半端な改革を行うことは、どうだろう、すぐに問題に気づくのではないか。授業時間を増やす=サービスの向上&予算の裏付けなし、だ。失敗は目に見えている。

 と、うっかりMixi日記のヘッダを見てだんだん腹たってきたのでこんなこと書いたけど、首を固定した金具って首輪かな。その時は裸かなとか、年齢があと四つくらい下ならな、とか、加害者側に13歳もいたらしいから、被害者と同じメに遭わせてやれとか、ほんとは思ってたんだよな。ああ、最低にして台無し(笑)


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コメント
この記事へのコメント
お久しぶりです。
blog主さんが文部省とかで意見を強く言える立場の人間だったら面白くなりそうです。
今も昔も子供の本質は変わらないっということを、たくさんいるアンチゆとりに知って欲しいですな。
2008/03/03(月) 03:19:25 | | さすらいの18歳 #92ca4cbe09[ 編集]
どうもです^^
 どうもです^^
 僕の書いていることにも実は、印象以上の「証拠」はないとも言えますが、体験、論理と実情の分析に基づいています。ゆとり批判は、結果のつじつま合わせをしただけで、矛盾する部分を黙殺してわかりやすい結論に結びつけています。そしてそれに乗る多くの人たちは、ただ結果のわかりやすさと面白さに飛びついているだけで、自分でモノを考えることから遠ざけられています。拍手喝采の馬鹿げたテレビ通販でものを買ってしまうバカな消費単位にさせられてるわけです。
 本当にこわいのは、この大衆をバカにする洗脳システムなんですが、今の「知識人」はそれを指摘する見識もしくは勇気の持ち合わせがないようですね。数字上の学力が高い人がこれですから、ペーパーでデータが取れる学力の平均値が少々下がっても、人間の質にはあまり関係ないでしょうな。
 大切なのは自分で判断して自分で道を選ぶ力です(権力はそういう人間が増えることを嫌います)。そういう力のない人間は、人に利用され搾取されても本当の加害者を見極められず、時にはいじめられ不当に扱われていることを自覚もできない。必然、自覚なく人を平気で傷つけるのです。
2008/03/03(月) 08:34:50 | | とりさん #5611fda99b[ 編集]
初めまして。
とても理にかなった意見だったので、感動して思わずコメントしてしまいました(^^)

これだからゆとりは…

こんな言葉をネットで目にする度に、『たまたまこの世代に生まれただけなのに』と思っていました。私たちを否定せずに、本当に見なければならない現状を理解している方がいて、とても嬉しいです!
これからも少年愛を貫いて下さい。笑


では、失礼しました。
2008/03/10(月) 14:44:04 | | ゆとり教育を受けた者 #990b977301[ 編集]
どもども
 今時の若いもんは的なラベリングって、みんなむかついて大きくなったはずなのに、いつしかモノを考えなくなって、何も感じなくなってしまう人って、悲しいかな多いですね。
 現役の人にw共感していただけて何よりです。
 人間は多面的な生き物なので、ショタコン=ダメ人間とかも、勝手に決めて欲しくないですよね。
 僕はダメ人間ですがw
2008/03/10(月) 15:25:44 | | とりさん #5611fda99b[ 編集]
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