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おもに少年愛と小説に関する雑記。エッセイとコラム
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重松清の嘘
 いずれどこかで、書こうと思っていたことなのですが、たまたま先日のオフ会で話が出たので。

 僕は「疾走」なる本をハードカバーで買って読みました。主人公幼時の、やくざもののトラックに乗せられて走るシーン。目に浮かぶビジョンとしてとても好きです。そうした才能を認めないものではありません。

 仕事が多忙になって前半三分の一で中断し、半年後に残りを一気に読んだのですが、すぐにゴミ箱に投げ捨てようかと思いました。

 この不快感の正体は、作者重松氏が、あちこちの教育講演会の類に出てると最近聞いて、だいたい明らかになりました。

 少年も含め、人の心に潜む闇、醜さ、一方闇夜に光る一匹の夜光貝のように見つけにくい崇高さ。

 これらを描くために、醜いものを目をそらさず正しく見つめタブーなく描くのは、アーティスト、創作者として正しい態度です。
 しかし、こうしたものを刺激を狙って誇張し、しかも誇張の元が正確でない。つまり人の心の闇など、全く見抜けていない人間がこれをやると、吐き気を催す醜さのみ誇張され、アートとしての存在価値などないのです。醜聞で売る夕刊紙、ワイドショーと同じです。

 重松がもし、真摯に人間の醜さ、真実、少年の心の痛みに寄り添い、正しく理解しようとしたなら、絶対にいずれかの「体制」に傾くような教育講演会などには出ない。文学をもって何かを訴えるはずです。でないと、創作に確実に雑音が入り歪みが生ずる。

 この態度こそが、重松氏がいかさま師であり、おもちゃにしてはいけない重みあるものをおもちゃにし、飯の種にする偽物の創作者であることの証左です。扱うその題材が少年性に傾斜していることがこの上なく不快です。

 ショタ系趣味の方には重松ファンも多いようで、なぜ僕がボロクソにいうのかは、飲みの席ではなかなか、って部分もあるんでまとめてみました。本当はキリスト教に関わる部分も重要なんですが、話がまとまらないのでそこは省略。


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コメント
この記事へのコメント
無題
お久しぶりでございます。

人によって考え方は違いますよね。
それによって個々の生き方も微妙に、あるいは大きく違ってくるものだと思います。

では、また今度♪
2008/05/19(月) 08:06:35 | | さすらいの18歳 #92ca4cbdfa[ 編集]
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