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ショタとは関係ない話。最近ブログも怠け気味だからぐだぐだ長文書こうかと。つまんないと思ったら途中で読むのをやめてください。
僕は、自分が学生ぐらいから今に至るまで、
「社会に出てないやつはだから甘い」
みたいなことを言う自称社会人が大嫌いでした。ただのサラリーマンじゃねえか。
もちろん、勤め人やって金を稼ぐというのは大変なことで、結婚し、子どもを作れば、もっと大きなプレッシャーを背負うことになります。
しかし上記や、まして「学校の先生は」「公務員は」世の中を知らないとかいうバカはどうしようもありません。
教員の厳しさは僕はよく知っています。公務員については、福祉課の友人が(要するに生活保護を止める展開で、「私たちに死ねっていうんですか?」といわれたりヤクザの不正受給者と渡り合わないといけないとか)死ぬ思いで早く異動したいってぼやいていました。
賢い人は一を聞いて十を知るものです。サラリーマンをやって公務員や教員の世界も想像できる。かつわからない部分もあるだろうと考える。
某京都の大企業(なんとか製作所)に非技術系で入った親父の友人は、就職して以来勤務時間の九割は将棋を指していたそうです。仕事を早く進めると、その先をやる人の迷惑だとか。残業代一円もなしで月百時間以上時間外労働していた僕は、公務員だったわけですがw
結局、その人の頭、視野が大切で、しかし愚鈍な者も、経験がある程度知恵と視野をひらかせてくれるものだと思います。
ちょい前に、逆パターンがあってから、そんなことを考えてたんですよね。
「プロは厳しいものだ、同人なんて所詮遊びだ」みたいなことを、一応少しの間同人やってイベントで本を売ってた人の口から聞きました。
……まず、「それでお前、お金とったんだよな」というのが頭にきました。
僕はいつも真剣ですよ。出来不出来やレベルは最終的に自分が評価するものではないですが、100%力出し切ったと言えないまでも、「これならお金もらってもいいですよね?」とおそるおそる言えるくらいにはして本は出してきました。絵もそうです。自分の小説の挿絵としてなら、内容を会場でぱっとつかんでもらうためなら、一応これでなんとか、とね。
で、同人やってる人はほとんどみんなそうだと思います。とくに長く続いてる人には異様なまでの情熱がある。同人関係者の飲み会にも参加して、それを感じ取れる感性もなかったからそんなこと言えるんだよな、と思いました。
ちなみにプロのほうが、作るものは不真面目になりがちです。これは近い人にプロのデザイナーなどたくさんいるので、間違ってないはずです。
商業美術では、売れることが正義なので、「作りたいものを作る」「制約を受けずどこまでも」「自分の高みを目指す」のは極めて難しいのです。
処女作が素晴らしくても、「以上。終わり」の作家さん多いですよ。速度、コスト、一般性。模倣の連発がつきつめたオリジナリティにまさる評価を受ける。
ずっと真の高みを目指すことができるプロは、絵であれば一点物で勝負する画家ぐらいで、そこもわけのわからない縁故に穢されてたくさんの才能が埋もれて消えています。真の「芸術家」が育つ社会は、おそらく貴族制で、成金のパチンコ屋に支配された日本には無理な話です。
先の人の、プロの厳しさの例。
「一週間寝ずに書いた原稿を編集者に目の前で破られた」
笑止千万でも言い足りない。
三ヶ月、日付が変わるまで毎日がんばって準備した学校行事がめためたになった切なさとむなしさが想像できますか。
先のデザイナー氏は、三日寝ずに描いた「展覧会用」の絵を、電話中の師匠にメモ帳代わりにされ破られました。
女性作家と編集者の例は、編集者が女性作家を認めていたがゆえの愛の厳しさに思えます。
デザイナー氏は、絵を見てもらうこともできなかったのです。
要するにこのような苦労は「社会人」を三年から五年もやれば、誰だって一度や二度は経験しているものなのです。
思わず、僕の口から「社会人三年やってから言えよ」というセリフがでそうになりましたが、こういう人はやってもダメでしょうね。
創作の厳しさは、プロにも同人にもあり、おそらくプロの本当の厳しさは、自分の美的欲求と商業との兼ね合いです。漫画でいうと、荒木飛呂彦などは、素晴らしいバランス感覚だと思います。ミュージシャンで椎名林檎とか。
それから、少し低い次元では、やはり「筆一本で食う」「筆一本で家族を支える」というプロを続けられるかどうかのプレッシャーだと思います。
そこへいくと同人は、自己の創作への要求水準をどこまでも上げられます。時間もかかっていい。確かに厳しくなく、楽しい遊びかも知れない。
でも、創作物への真剣さは、プロも同人もどっちみち、本人次第でしょ。高みの追求の厳しさは変わらない。
人間もね。感性、知恵、品格などは、社会的経験がカバーしてくれる面はあっても(僕は相当波瀾万丈の人生ですよw 元が愚物でもある程度は進歩できたかな、と)、本人次第なのかなと。だから「社会人三年やってから~」は引っ込めました。
幸も不幸も、試練も挫折も、受け止める本人次第でがらりといろどりを変えるものかな、と。
これからも僕は他人のラベリングで人は見ないつもりです。
ニート、引きこもり、フリーター。偉そうにしなくていいけど、たかが一種類の会社しか知らない、そんな鶏小屋の中のサラリーマンにとやかく言われることはないね。
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僕は、自分が学生ぐらいから今に至るまで、
「社会に出てないやつはだから甘い」
みたいなことを言う自称社会人が大嫌いでした。ただのサラリーマンじゃねえか。
もちろん、勤め人やって金を稼ぐというのは大変なことで、結婚し、子どもを作れば、もっと大きなプレッシャーを背負うことになります。
しかし上記や、まして「学校の先生は」「公務員は」世の中を知らないとかいうバカはどうしようもありません。
教員の厳しさは僕はよく知っています。公務員については、福祉課の友人が(要するに生活保護を止める展開で、「私たちに死ねっていうんですか?」といわれたりヤクザの不正受給者と渡り合わないといけないとか)死ぬ思いで早く異動したいってぼやいていました。
賢い人は一を聞いて十を知るものです。サラリーマンをやって公務員や教員の世界も想像できる。かつわからない部分もあるだろうと考える。
某京都の大企業(なんとか製作所)に非技術系で入った親父の友人は、就職して以来勤務時間の九割は将棋を指していたそうです。仕事を早く進めると、その先をやる人の迷惑だとか。残業代一円もなしで月百時間以上時間外労働していた僕は、公務員だったわけですがw
結局、その人の頭、視野が大切で、しかし愚鈍な者も、経験がある程度知恵と視野をひらかせてくれるものだと思います。
ちょい前に、逆パターンがあってから、そんなことを考えてたんですよね。
「プロは厳しいものだ、同人なんて所詮遊びだ」みたいなことを、一応少しの間同人やってイベントで本を売ってた人の口から聞きました。
……まず、「それでお前、お金とったんだよな」というのが頭にきました。
僕はいつも真剣ですよ。出来不出来やレベルは最終的に自分が評価するものではないですが、100%力出し切ったと言えないまでも、「これならお金もらってもいいですよね?」とおそるおそる言えるくらいにはして本は出してきました。絵もそうです。自分の小説の挿絵としてなら、内容を会場でぱっとつかんでもらうためなら、一応これでなんとか、とね。
で、同人やってる人はほとんどみんなそうだと思います。とくに長く続いてる人には異様なまでの情熱がある。同人関係者の飲み会にも参加して、それを感じ取れる感性もなかったからそんなこと言えるんだよな、と思いました。
ちなみにプロのほうが、作るものは不真面目になりがちです。これは近い人にプロのデザイナーなどたくさんいるので、間違ってないはずです。
商業美術では、売れることが正義なので、「作りたいものを作る」「制約を受けずどこまでも」「自分の高みを目指す」のは極めて難しいのです。
処女作が素晴らしくても、「以上。終わり」の作家さん多いですよ。速度、コスト、一般性。模倣の連発がつきつめたオリジナリティにまさる評価を受ける。
ずっと真の高みを目指すことができるプロは、絵であれば一点物で勝負する画家ぐらいで、そこもわけのわからない縁故に穢されてたくさんの才能が埋もれて消えています。真の「芸術家」が育つ社会は、おそらく貴族制で、成金のパチンコ屋に支配された日本には無理な話です。
先の人の、プロの厳しさの例。
「一週間寝ずに書いた原稿を編集者に目の前で破られた」
笑止千万でも言い足りない。
三ヶ月、日付が変わるまで毎日がんばって準備した学校行事がめためたになった切なさとむなしさが想像できますか。
先のデザイナー氏は、三日寝ずに描いた「展覧会用」の絵を、電話中の師匠にメモ帳代わりにされ破られました。
女性作家と編集者の例は、編集者が女性作家を認めていたがゆえの愛の厳しさに思えます。
デザイナー氏は、絵を見てもらうこともできなかったのです。
要するにこのような苦労は「社会人」を三年から五年もやれば、誰だって一度や二度は経験しているものなのです。
思わず、僕の口から「社会人三年やってから言えよ」というセリフがでそうになりましたが、こういう人はやってもダメでしょうね。
創作の厳しさは、プロにも同人にもあり、おそらくプロの本当の厳しさは、自分の美的欲求と商業との兼ね合いです。漫画でいうと、荒木飛呂彦などは、素晴らしいバランス感覚だと思います。ミュージシャンで椎名林檎とか。
それから、少し低い次元では、やはり「筆一本で食う」「筆一本で家族を支える」というプロを続けられるかどうかのプレッシャーだと思います。
そこへいくと同人は、自己の創作への要求水準をどこまでも上げられます。時間もかかっていい。確かに厳しくなく、楽しい遊びかも知れない。
でも、創作物への真剣さは、プロも同人もどっちみち、本人次第でしょ。高みの追求の厳しさは変わらない。
人間もね。感性、知恵、品格などは、社会的経験がカバーしてくれる面はあっても(僕は相当波瀾万丈の人生ですよw 元が愚物でもある程度は進歩できたかな、と)、本人次第なのかなと。だから「社会人三年やってから~」は引っ込めました。
幸も不幸も、試練も挫折も、受け止める本人次第でがらりといろどりを変えるものかな、と。
これからも僕は他人のラベリングで人は見ないつもりです。
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