忍者ブログ
おもに少年愛と小説に関する雑記。エッセイとコラム
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

趣味なんかじゃない
 以前から時々、引っかかりを感じることがあるのですが、既婚者で少年愛の方、いらっしゃいますよね。果たして自分の性嗜好を、どう処理しているのか、疑問なんです。そこをつっこむのは「生き方」に関わることなので、直接うかがったことはないんですけどね。

 ある友人は、奥さんがいわゆる「腐女子」な方で、友人がリアル少年愛で、どのような嗜好と行跡をもつかすべてご承知の上で結婚されています。うらやましい限りですがレアケースでしょう。

 純粋二次ショタの場合は、昨今腐女子な方も増えていて、そうでなくても理解のある女性は多いので、問題はないかと思います。隠さないで解り合って結婚すればいいでしょう。

 しかし三次は、これ、カミングアウトして結婚してる人、ほとんどいないはずです。例え画像やビデオ(これも、違法物品に手を出してたら論外ですよ)の範囲で、絶対に生身の子に手を出したことも、出すこともないにしてもです。

 ばれたときの妻子のダメージはもちろんですが、僕は生涯のパートナーに対して、そんな重大なことを隠して結婚するのは不実だと思うんです。結婚や家族に対しての考え方も多様ですが、僕はそう思うので、「一体どう処理を」といつも疑問で、僕の中で言行一致で納得いく既婚者の方は、先のおひと方だけです。
 ある方は、中学生の息子がいるのに、出会い系で高校生と知り合ってナニしてまして、うーん、でした。

 人が傷つこうがどうしようが、欲望は欲望で、己の道を貫いて、破滅も受け入れるし憎しみも泥もかぶるというなら、僕はアリと思っています。

 しかしちょっと前、とある既婚者の方の、チャットか何かの発言をかいま見ました。
 「少年愛(の嗜好を持つこと)は人生を豊かにしてくれる」
 また全くの別の場所で、これは既婚者の話でもないですが、
 「少年嗜好は高尚な趣味である」
 というような趣旨の発言。

 僕にとっては(僕だけじゃないはずです)、少年を愛することは普通の大人の方が女性を愛することと同じで、性欲もまた然り。真剣に愛すれば時には人生をも投げ打つほどの覚悟もいり破れれば死にたくもなり恋実らば天国にものぼる。性欲は業のようなもので、高尚な趣味と気取ったり他のものと置き換えることなどできないのです。
 暇人のカルチャースクールで覚える趣味と同一視されたくはない。そういう風な趣味を持つ人は否定しませんし、狭い趣味嗜好の中でいがみ合ったり区分けするのもよくないと思いますが、互いに違いを理解した上でつきあいたい。たとえばこっちの真剣な恋愛話を、趣味の陶芸で最近冴えたものが作れなくてみたいな次元で受け取られリアクションされたらやりきれないんですよ。

 たまにですが、感じていた違和感の正体はこれだったのかも、とふと思いました。それから、既婚者なりで、少年愛を高尚な趣味や人生を豊かにするたしなみと考えるなら、その上にて明確な児童ポルノを収集している方は、自家撞着していますよ。趣味や嗜みにしては、火遊びが過ぎると思いませんか。
 男の子の裸の画像一枚にも人の悲しみや傷や業が潜んでいる。やむにやまれぬ衝動や、胸の痛みや、自身が何かを捨てる覚悟なしにして、それらに手を触れることは、まさに許されざる冒涜だと思うのです。生きた人間を軽々しく娯楽の対象にすべきではないし、そのような罪に自覚のないことは人として、僕には許容範囲外です。まあ、僕自身が、「一般」からは許容範囲外かも、しれませんけども。

拍手[3回]

PR
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Comment:
Pass:
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック